元寇(蒙古襲来)

東公園 元冦資料館
東公園 元冦資料館(撮影 2001.12.8)

 蒙古襲来当時の両国の武器や後世に描かれた元冦絵など収集され、それを中心にチベット仏教用具、アイヌ民族史料、種子島伝来から日清戦争までの間に使用された鉄砲などの歴史上の貴重な史料、文献が展示されている。

元冦資料館
東公園 元寇戦闘絵図(撮影 2001.12.8)

 鎌倉時代中期、「文永の役」と「弘安の役」の二度元軍侵攻があった。
 文永の役は、文永11年(1274)10月、3~4万と見られる元・高麗連合軍に対馬が襲われ、続いて壱岐が制圧された。伝令が京都と鎌倉へ飛び、九州の御家人が太宰府に集結した。博多に上陸した元軍が、火器「てっぽう」を用いたため、日本軍は苦戦を強いられたが、徐々に集団戦に慣れたこと、日本軍の団結が固かったこと、また元軍の矢が尽きたこともあり、元軍は陸から撤退した。『高麗史』などには、その夜中の暴風雨で艦船が難破したと記載されている。

元冦資料館
東公園 モンゴル型鎧兜・皮鎧等(撮影 2001.12.8)

 二度目の弘安の役は、弘安4年(1281)5月、元・高麗連合軍は、征服した南宋の兵も加えた14万の大船団を仕立て襲来し、対馬・壱岐を制した後、最大で高さ3mに及ぶ防塁に阻まれた。元軍の戦法を熟知した日本軍は優勢に戦いを進め、連合軍を海上へ撤退させた。そして文永の役と同様、海上は折しも大荒れとなり、船団は壊滅した。2度の元寇をはね返すことができた。

元冦資料館
東公園 武者人形(博多人形)(撮影 2001.12.8)

 武者人形(博多人形)は、元軍兵と武者の戦闘する姿を模したこの博多人形は、人間国宝として名高い小島予一の師匠であった白水六三郎の作品である。

元冦資料館
東公園 日蓮上人銅像(撮影 2001.12.8)

 日蓮上人は文応元(1260)年、時の鎌倉幕府に提出された建白書「立正安国論」の中で外国からの侵略を予言され、二度の元軍の侵攻を適中した。
 その古戦場である東公園に当時の国難をしのび、戦闘や暴風雨で尊い生命を失った両国の戦没者の霊を慰め、世界の平和を祈るために文永の役亀山上皇銅像と共に日蓮上人銅像の建立を発願された。

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