源義経

満福寺 本堂
満福寺 本堂(撮影 2001.2.11)

 文治元年(1185)5月24日、平家を滅亡させた源義経は兄源頼朝の怒りにふれて鎌倉入りを禁じられ、鎌倉の西端にあたる腰越にとめられた。そのとき、頼朝の怒りを解こうと切々たる思いを託したつが「腰越状」である。現在、弁慶筆と伝えられる「腰越状」の下書きが満福寺に残されている。そのほか、江戸時代の「腰越状」の版木、弁憂所用の椀・錫杖などを所蔵、寺の各部屋に鎌倉彫の技法を用いて義経の生涯を描いた襖絵がある。

高館 義経堂
高館 義経堂(撮影 2006.11.4)

 その後、兄頼朝に追われ奥州藤原氏のもとに逃れてきた。藤原秀衡は、義経を手厚くもてなしたが、文治3年(1187)、秀衡は死去。その子泰衡は頼朝をおそれ、文治5年(1189)、義経を襲撃。高館にたてこもった義経は、応戦空しく自刃。享年31歳。時代を駆け抜けた英雄の最期であった。

週末ウォーキング