法然上人

増上寺 幼少の法然さま像
増上寺 幼少の法然さま像(撮影 2012.1.7)

 平安時代末期、貴族よりも庶民に近い武士が政治権力を握るようになった。このため仏教も、貴族から庶民を対象とするものへと変化が始まった。そんな情勢で登場したのが法然(浄土宗開祖)だった。法然が9歳のとき、土地争論が発端で父漆間時国が殺害されたが、父の遺言により、仇討ちを放棄し仏門に入った。比叡山に登り天台教学を学んだ法然は、下山後、念仏(南無阿弥陀仏)を唱えればね死後は誰でも平等に極楽浄土に往生できるという「専修念仏」の教えを説いた。

増上寺 法然上人のお歌
増上寺 法然上人のお歌(撮影 2011.3.27)

 お歌の由来
  池の水 ひとのこころに 似たりけり
  にごりすむこと さだめなければ

 法然上人の御作、変わりやすい人の心を池の水にたとえて、お歌に示されたものである。

知恩院 山門
知恩院 山門(撮影 2016.11.10)

 浄土宗の総本山で、華頂山知恩教院大谷寺とよばれる。「浄土宗」は、地方武士、庶民もさることながら、新時代の到来に不安を抱く貴族にも広まり、九条兼実らが帰依した。法然は兼実の要請を受け「選択本願念仏集」を薯した。また法然は、仏教史上初めて一般女性に布教を行った。

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