徳川秀忠・お江

徳川将軍家墓所 二代秀忠公・お江夫妻の墓所
徳川将軍家墓所 二代秀忠公・お江夫妻の墓所(撮影 2012.1.7)

 二代将軍徳川秀忠は、徳川家康の三男として誕生。真面目な秀忠は大御所となった家康の後見を受けて武家諸法や禁中並公家諸法度を整備、幕府支配体制の基礎固めた。豊臣秀吉の斡旋で、お市の方(織田信長の妹)の娘・お江(於江与)と再婚。秀忠は側室を持たなかったが、織田の血を将軍家に残そうと必死だったお江の嫉妬心逆なでしないためであった。

台徳院霊廟惣門
芝公園 徳台徳院霊廟惣門(撮影 2011.3.27)

 旧台徳院霊廟惣門は、寛永9年(1632)三代将軍徳川家光が建てた秀忠の墓所いわゆる南廟の正門。入母屋唐破風、鋼板葺き。三間一戸八脚門朱塗り和様建築。同廟の勅額門御成門丁字門は狭山不動尊に移された。なお安置の像は仁王像である。
 お江は、戦乱の世が続く天正元年(1573)、近江国小谷城主・浅井長政と、信長の妹・お市の方の三女として生まれた。長女は茶々(のちの淀姫)、次女は初、有名な「浅井三姉妹」の末っ子である。生後まもなく、父・長政が叔父・信長と対立し、小谷城を落とされて自害。お江は母・市と二人の姉とともに信長に保護されるが、天正10年(1582)本能寺の変で信長が討たれ、母の再婚相手である柴田勝家の居城、越前国北ノ庄城へ移る。しかし、その翌年、柴田勝家は賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉に敗れ、市も自刃。両親を亡くした三姉妹は秀吉に引き取られる。のちに三度目の結婚は文禄4年(1595)、相手は家康の息子でのちに江戸幕府二代将軍となる秀忠でした。お江は6歳年下の秀忠との間に、千姫、忠長、和子など二男五女をもうける。秀忠宝塔は木造で焼失してしまったため、正室・お江の宝塔が使用されている。

2011.3.27 芝公園・増上寺youtube

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