徳川斉昭(烈公)

千波湖畔 徳川斉昭公像
千波湖畔 徳川斉昭公像(撮影 2012.3.20)

 水戸藩九代藩主徳川斉昭は、寛政12年(1800)に七代藩主治紀の三男として江戸の小石川水戸藩邸(後楽園)に生まれ、30歳で藩主に就任した。就任後すぐに藩政の改革に取り組み、倹約の徹底と追鳥狩の実施、藩内総検地、弘道館偕楽園の造成、定府制の廃止など諸政策を推進した(天保の改革)。しかし、弘化元年(1844)、改革の行き過ぎなどを理由に幕府から致仕謹慎を命じられた。

水戸城跡 徳川斉昭公像
水戸城跡 徳川斉昭公像(撮影 2012.3.20)

 安政5年(1858)、将軍継嗣問題と日米修好通称条約をめぐり、斉昭は再び幕府の処分をうける。将軍継嗣問題では斉昭の七男で一橋家の養子となっていた十五代将軍徳川慶喜を推す一橋派と、紀伊藩主徳川慶福(後の徳川家茂)を推す南紀派との対立が表面化した。南紀派の井伊直弼は、大老に就任すると条約に調印し、十四代将軍徳川家茂となった。直弼の断行に強く反対した斉昭や尊攘派の志士たちは、安政の大獄と呼ばれる弾圧や処分をうけ、安政6年(1859)8月、斉昭は水戸城に水蟄居(終身刑)を命じられた。翌万延元年(1860)3月桜田門外の変後、同年8月、水戸城内で死去、烈公と謚され水戸徳川歴代の墓地瑞龍山(常磐太田市)に葬られた。

2012.3.20 水戸市 歴史散歩(偕楽園・弘道館)youtube

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