徳川光圀(義公)(水戸黄門)

生誕の地
徳川光圀生誕の地(撮影 2012.3.20)

 寛永5年(1628)、水戸藩二代藩主徳川光圀は初代藩主徳川頼房の三男として、水戸城下にあった家臣・三木之次の屋敷で生まれた。母は頼房の側室・久子。頼房は久子が懐妊したことを知ると、2度までも堕胎を命じたといわれている。その理由は、ほかの側室に遠慮したともいわれているが真偽は不明だ。しかし三木之次の計らいで、久子は2度とも密に出産したのだった。元和8年(1622)に生まれた子は長男に当たる竹丸(のちの頼重)、そして2度目に生まれたのが長丸、のちの光圀である。

千波湖畔 徳川光圀公像
千波湖畔 徳川光圀公像(撮影 2012.3.20)

 江戸の小石川水戸藩邸(後楽園)に入って名を千代松と改めた光圀は、跡継ぎとしての教育を受けたが、学問はあまり好まず、庶民の喧嘩に加わったり街中で刀を抜くなど乱暴な行動が多く、頼房も持て余すほどであったという。

水戸黄門 助さん格さん像
水戸駅 水戸黄門 助さん格さん像(撮影 2012.3.20)

 寛文元年(1661)に父・頼房が亡くなると、光圀は34歳で水戸28万石の藩主となり、江戸と水戸を往復して、浮役(年貢以外の臨時税)の廃止や、藩役人が行っていた検地を村ごとの責任者に任せるなど、農民の負担を軽減する農政改革を進めた。そして、貧民や病人に米を与える福祉政策や、行いが悪かったり実態のない寺社を取り締まる宗教政策も行って庶民の生活に目を注いだのである。

2012.3.20 水戸市 歴史散歩(偕楽園・弘道館)youtube

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