徳川頼房(威公)

水戸城跡 徳川頼房公像
水戸城跡 徳川頼房公像(撮影 2012.3.20)

 全国支配をめざした徳川家康は、水戸を東北諸大名に対する防御・牽制の拠点として重視し、慶長7年(1602)に5子武田信吉、慶長8年(1603)に10子徳川頼宣、そして慶長14年(1609)12月には11子徳川頼房を、あいついで水戸城主に封じた。
 水戸藩初代藩主徳川頼房によって、水戸城は3度にわたって大改修が行われ、近代城郭として整えられた。堀の石垣も設ける計画はあったが、技術不足や財政難のため中止となり、そのままとなった。
 水戸藩は石高35万石と徳川御三家(尾張徳川家・紀州徳川家・水戸徳川家)中最下位で、格下とみられるが、御三家で唯一「定府」という江戸定住を義務付けられていた。万一の際に将軍を補佐するためだったといわれているが、そのため、頼房以来、水戸藩主は参勤交代をせず、江戸に定住することとなった。

2012.3.20 水戸市 歴史散歩(偕楽園・弘道館)youtube

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