太田道灌

東京国際フォーラム 太田道灌像
東京国際フォーラム 太田道灌像(撮影 2012.5.13)

 太田道灌は、永享4年(1432)、室町時代関東管領の一族・扇谷上杉家の家老の家柄に生まれた。本名は資長。
 幼い頃から才気煥発で、父の資清(道真)から「知恵のある者はつい偽りを用いてしまうものだが、それは災いのもとだ。障子はまっすぐでないと立たないように、つねに真っ正直でいろ」と戒められると、「屏風は曲がっていないと立ちません」と反論したエピソードがある。

皇居東御苑 江戸城跡(天守台)
皇居東御苑 天守台(撮影 2011.2.13)

 長禄元年(1457)、関東管領扇ヶ谷上杉氏の家宰の道灌が、古河公方足利成氏に備えるために本格的な城郭を築いた。関東屈指の堅城といわれたこの城は、のちの江戸城本丸二の丸あたりと考えられている。

皇居 下道灌濠
皇居 下道灌濠(撮影 2015.12.9)

 道濯濠は、江戸時代には蓮池濠から的場曲輪の西まで通じて、西の丸と吹上御苑とを区画していた。この濠は石垣を組まずに台地を切り割っただけのもので、太田道灌時代の旧濠といわれているが、さだかではない。明治に入って山里曲輪と吹上御苑を結んでいた釣橋が撤去され、そこが埋め立てられたために、濠は下道灌濠と上道灌濠とに二分されることとなった。

荻窪八幡神社 道潅槇
荻窪八幡神社 道潅槇(撮影 2012.11.14)

 文明9年(1477)、道灌が石神井城の豊島泰経を攻めた際、戦勝を願って槇(マキ)を献植したとの伝えがある。

太田道灌公の墓
源氏山 太田道灌公の墓(撮影 2016.4.2)

 道灌はこの地で生まれ、扇谷上杉家の家宰として活躍した。太田道灌公の墓は文政9年(1826)に水戸徳川家の子孫である英勝寺住職が以前の墓を再建したものである。

英勝寺
英勝寺 山門(撮影 2016.4.2)

 道灌の曾孫である太田康資の娘梶(後は勝)は、徳川家康の側室として水戸藩初代藩主徳川頼房の養母となり、徳川家を支えた。彼女は出家後に英勝院と号し、三代将軍徳川家光よりここに源氏山一帯を賜って英勝寺を開いた。

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