黒田長政

福岡城跡 中天守台の石垣(後方は大天守台)
福岡城跡 中天守台の石垣(後方は大天守台)(撮影 2015.1.3)

 福岡藩初代藩主黒田長政は豊臣秀吉の軍師・黒田孝高の長男。父と同様キリシタン大名で、もともとは信長に仕えていた。天正6年(1578)、父・孝高が、織田信長に謀反を起こした荒木村重を説得するため敵城に赴き、逆に捕縛される事件が起きた。なかなか戻らない孝高が村重に寝返ったと見た信長に、長政は処刑されそうになったが、竹中重治の機転で救われた。
 福岡城(別名舞鶴城)は、黒田長政が慶長6年(1601)に築城を開始し、6年後の慶長6年(1607)に完成した。関ケ原の戦いで筑前一国52万3000石を得た黒田氏の居城である。商都博多を城下町に取り込み、内郭部は8万坪という広大な城で、天然の入江を水堀として利用した堅固な城となっている。

崇福寺 黒田長政の墓(左)
崇福寺 黒田長政の墓(左)(撮影 201.1.2)

 謀略を得意としていた父に比べ、賤ヶ岳の戦い、九州攻め、朝鮮出兵での先鋒など勇猛ぶりが目立つが、関ケ原の戦いのときは、交渉によって西軍の小早川秀秋、吉川広家を東軍へ寝返らせ、智略の才を発揮している。秀吉の忠実な家臣であったが、秀吉死後は石田三成と敵対し、家康につき、大坂夏の陣では豊臣方と戦った。

黒田長政の墓
祥雲寺 黒田長政の墓(撮影 2017.12.23)

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