山内一豊

高知城 山内一豊像
高知城 山内一豊像(撮影 2016.1.1)

 一豊は、天正元年(1573)の刀根坂の戦いでの功もあって、戦後豊臣秀吉が近江長浜城主となると、一豊もこの地で400石の知行を得た。このことは、寄騎の立場から秀吉の直接の配下ににったことを意味するが、落ちぶれたはいえ元は守護代重臣の家格である。
 その後、秀吉の下で功を重ねた一豊は、本能寺の変を経た天正12年(1584)には長浜城5000石を与えられ、40歳にして城持大名へと出世した。
 天正18年(1590)、一豊は遠江掛川5万石に加増された。秀吉から、関東へ移った徳川家康の監視役を期待されて東海道筋の城を預けられたわけだが、秀吉没後、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いに先んじては、家康に真っ先に居城を明け渡すという行動に出ている。一豊は自分のすべてを家康に委ねるという、深い信頼のメッセージを送ったのであるが、すると、態度を決めかねていた大名たちも一豊にならって、関ヶ原での家康の勝利に大きく貢献。自分のすべてを懸けての大博打に勝利した一豊は、戦後、一躍土佐20万石の大大名へと抜擢されるのである。
 土佐藩初代藩主の山内一豊の銅像は、平成8年(1996)9月20日の一豊の命日に再建除幕式が行われた。本体はブロンズ鋳造青銅色仕上げ、高さ4.32m、重さ3.6tで、当初の原型は宿毛市出身の彫刻家本山白雲作である。

週末ウォーキング