ゆかりの地
開国の英雄井伊直弼は、文化12年(1815)に彦根城下の下屋敷(槻御殿)に生まれ、嘉永3年(1850)36歳で彦根藩主となる。
井伊直弼は、安政5年(1858)6月、米国領事ハリスの強硬な日米修好通商条約調印の要求に対し、孝明天皇の許可を得ないまま調印を行い、徳川将軍の後継問題では、十四代将軍に慶福(徳川家茂)を擁立した江戸幕府の大老である。
井伊直弼は、安政7年(1860)3月3日、彦根藩井伊家上屋敷の表門外西側にあった井戸の脇から登城途中に、桜田門外で水戸・薩摩の浪士らに暗殺され46年の生涯に幕を閉じた。
豪徳寺は大渓山洞春院と称し、高輪泉岳寺の末寺である。寛永10年(1633)、彦根藩主井伊家の菩提寺となり、彦根藩二代藩主井伊直孝が葬られ、久昌院殿豪徳天英大居士の法名にもとづき豪徳寺と称した。