ゆかりの地
熊本市の中心部に、今も天下三名城の1つとしての偉容をみせる熊本城は、天正16年(1588)、戦国武将の加藤清正が鮮出兵(1592・97年)から帰国後、城郭造営に着手したとみられる。慶長5年(1600)の関ケ原の戟いの軍功で肥後一国の国守となった清正は、翌年から熊本城の築城を始め、慶長12年(1607)に完成させたと伝えられる。
慶長15年(1610)加藤清正が徳川家康に願い出て、大小の天守閣の石垣工事を施工した。加藤清正は巨石を修羅乗せて運ぶとき、石の上に乗り、気勢を上げたと伝えられ、「清正の石曳き」といわれている。
此経難持坂は、慶長年間(1596~1615)加藤清正の寄進によるものと伝えられる。「法華経」宝塔品の詩句96文字にちなんで石段を96段とし、詩句の文頭の文字「此経難持」をとって坂名とした。
清正井は、この地に下屋敷を構えて居た加藤清正が掘ったと伝えられ、1年中絶えることなく湧き出る清水は南池の水源となり、掘り方の巧妙と水質の優秀なことから世に知られている。
平成3年新たにオープンした。中村図書館、中村文化小劇場と同じ中村公園文化プラザにある。地域に根ざした特色のある博物館として、豊臣秀吉・加藤清正と彼らの生きた時代に関する資料を中心に収集・保管し、展示している。