姫路城 西の丸からの天守群

姫路城 西の丸からの天守群
姫路城 西の丸からの天守群(撮影 2015.6.27)

 姫路城(国宝)の築城の歴史は鎌倉時代にさかのぼり、元弘元年(1331)赤絵則村(円心)が、北条氏追討の兵をあげて東上の途中、砦を築いたのにはじまり、戦国時代にはいって羽柴秀吉が3層の天守閣の城を築き、江戸時代に城主になった池田輝政が、慶長6年(1601)から8年の歳月をかけて、秀吉の築いた城を取りこわして大修築を行った。
 5層7階の大天守閣は31.8mあり、石垣まで含めると46mの高さになる。白漆喰を塗り込めた外壁が輝き、唐破風・千鳥破風の屋根がいく重にも重なる荘厳な姿は・シラサギが羽を広げてとびたっ姿に似ていることから白鷺城ともよばれ、天下の名城の誉れが高い。
 城塞としての実用性にもすぐれ、地形を巧みに利用して二の九・三の九・堀などを螺旋状に配し・鉄砲や弓矢を放つための狭間や各種の防御施設が随所にみられる。
 藩主家ではないが、徳川家康の孫の千姫も、本多忠刻に嫁したことで、夫が死亡するまでの約10年間、姫路城ですごした。千姫が嫁いだときに持参した化粧料10万石でたてられたのが西の丸の化粧櫓である。千姫は朝夕、西の丸の長局の百間廊下から男山千姫天満宮を拝んだといわれるが、そのときに休息した場所がこの化粧櫓である。千姫ゆかりの部屋や場所が姫路には点在している。
 国宝に指定されている大天守・西小天守・乾小天守・東小天守・イロハ二の渡櫓(附台所)1棟をはじめ、国宝の部分をのぞく櫓・城門・城壁などの74棟すべての建物が国の重要文化財である。

週末ウォーキング