鶴岡八幡宮

二の鳥居
二の鳥居(撮影 2002.3.23)
 二の鳥居から門前の三の鳥居まで若宮大路の中央部に二条の堤を築いて葛石を積み重ねたところを段葛という。寿永元年(1182)、源頼朝政子の安産祈願のためにつくらせた参詣者で、もとは海岸まであったという。
段葛
段葛(撮影 2016.4.2)
 段葛から鶴岡八幡宮にかけてのサクラ(花の名所100選)は、鎌倉を代表する光景で人気がある。
新しくなった段葛
新しくなった段葛(撮影 2016.4.2)
 平成28年(2016)3月30日の通り初めには、歌舞伎役者の中村吉右衛門さんらが参加された。
太鼓橋
太鼓橋(撮影 2012.7.21)
 三の鳥居をくぐると太鼓橋がある。もとは木製朱塗で赤橋といい、将軍下場の「上の下馬橋」である。右手が源氏池で、中に三つの島があり、左手の平家池には四つの島がある。
舞殿と本宮
舞殿と本宮(撮影 2012.7.21)
 源頼義が勧請した由比の若宮(元八幡)を、治承4年(1180)源頼朝が現在の境内に移したが、建久元年(1190)に火災にあい焼失したため、裏山(現在の上官の位置)に改めて岩清水八幡宮を勧請し、上下両宮とした。二代将軍源頼家も白旗神社や新宮を造営した。鶴岡八幡宮は、幕府の祈祷の中心的役割をはたした。また、頼朝が長年待ち望んだ征夷大将軍をはじめ、頼家や三代将軍実朝などの叙位任官の際には、本来ならば内裏で行われる拝賀の儀式をすべて鶴岡八幡宮ですませていることから、内裏としての機能をあわせもったと考えられている。
源氏池の蓮
源氏池の蓮(撮影 2012.7.21)
 三の鳥居をくぐると境内(国史跡)と源平池に至る。毎年行われている9月15日の例大祭(放生会)に際し、滅罪のため生き物を放した放生池で、太鼓橋によって左右に分かれる。東の源氏池は、もとは白いハスを植え、なかに三(産につうじて繁栄を意味する)の島があった。その1つには旗上弁財天社をまつっている。西の池は平家池で、もとは赤いハスを植え、なかに四(死につうじて滅亡を意味する)の島があった。石灯寵の並ぶ参道を歩き、流鏑馬の行われる流鏑馬馬場を横切り、さらに進むと一段高くなった平地となる。ここからさきがもとの伽藍があったところで、舞殿や、その右奥には若宮がある。
鶴岡八幡宮鎌倉まつり流鏑馬(武田流)
2014.4.20 鶴岡八幡宮鎌倉まつり流鏑馬(武田流)
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鶴岡八幡宮 流鏑馬神事
2015.9.16 鶴岡八幡宮 流鏑馬神事
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 流鏑馬神事は、頼朝が文治3年(1187)八幡宮に奉納したのにはじまり、神酒拝戴式ののち、奉行・射手・諸役が馬場入りし、鎌倉時代を思わせる華麗な狩衣姿の馬上の射手が、鏑矢で3つの的を射る勇壮なものである。
鶴岡八幡宮 流鏑馬(崇敬者大祭)
2016.10.2 鶴岡八幡宮 流鏑馬(崇敬者大祭)
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現在の大銀杏
現在の大銀杏(撮影 2012.7.21)
 三代将軍源実朝は、承久元年(1219)1月27日、右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に参詣したあと、頼家の遺子公暁に暗殺された。公暁が隠れていたと伝承される大銀杏は、平成22年(2010)3月10日、強風によって倒れてしまった。再生・再起を願い、大石段側の元の場所に残された根本保存、倒伏した大銀杏の本体(親木)は、西側(左)へ移植した。元の場所に残された根からの若い木が勢い良く伸び出し、移植した幹からも芽生し葉を付けるまでになった。大銀杏の後継樹としての若木の選定、また親木の再生根の確認ができるまでには数年の観察が必要である。
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