護良親王

鎌倉宮
鎌倉宮(撮影 2007.7.22)

 鎌倉宮は、明治2年(1869)明治天皇により、後醍醐天皇の皇子護良親王を祀るために建てられた。護良親王は僧となってその門室を大塔といったので大塔宮とよばれた。

鎌倉宮 土牢
鎌倉宮 土牢(撮影 2001.11.18)

 護良親王は、鎌倉幕府倒幕計画に加わり、還俗して護良と改め、千早城の楠木正成と呼応して吉野城で鎌倉幕府の軍勢を悩ませ、幕府打倒に貢献した。建武の新政では征夷大将軍・兵部卿となったが、後醍醐天皇や足利尊氏と対立を深め、ついにとらえられ、鎌倉に流された。建武2年(1335)北条時行が鎌倉に乱入した際、鎌倉にいた足利直義の命により、淵辺義博に殺された。
 護良親王が9か月間幽閉されていたと伝わる土牢で、鎌倉宮本殿の背後に位置する。深さ約4m、広さ8畳敷程度である。

護良親王の墓
護良親王の墓(撮影 2017.2.6)

 宮内庁管轄の護良親王の墓(非公開)がある。淵辺義博が捨てた護良親王の首を、そばにあった理智光寺の僧がここに埋葬したと伝え、首塚とよばれている。

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