北条早雲(後北条五代)

小田原駅 北条早雲像
小田原駅 北条早雲像(撮影 2014.10.18)
 北条早雲公は、戦後時代に相模、武蔵、上総、下総、安房、常陸、上野、下野の関八州のほか、伊豆、駿河に勢威を及ぼした小田原北条氏五代の祖である。
小田原城 二の丸隅櫓(再建)
小田原城 二の丸隅櫓(再建)(撮影 2014.4.5)
 早雲公は、東国の戦国時代の幕を切って落とした一代の風雲児と評され、一般には乱世を生き抜いた猛々しい武将という印象を与えている。いかし、伝来の北条家の家訓「早雲寺殿二十一箇条」において、早雲公は、身を慎み、礼を重んじ、質素倹約を旨とすべきことを説き、学問、歌道に親しむことを奨励している。実際は聡明な教育人であり、また公私にわたる日常生活においても、つねに細心の注意を怠らなかった老練な苦労人でもあった。 伊豆韮山で没。
早雲寺 後北条五代の墓
早雲寺 後北条五代の墓(撮影 2013.11.24)
 北条氏綱(二代)は、父早雲の遺志を継ぎ武蔵・下総へ進出、小田原北条氏の領国を拡大した。
 北条氏康(三代)は、扇谷上杉を滅ぼし関東の覇権を握る。領国経営にすぐれた手腕を発揮した。
 北条氏政(四代)は、夫人は武田信玄の娘黄梅院。武田信玄の西上を後援、その没後は織田信長と連携して武田勝頼討伐に加担。やがて豊臣秀吉に敗れ切腹した。
 北条氏直(五代)は、夫人は徳川家康の娘督姫。下野宇都宮氏を降し後北条氏最大の領国を形成。上野真田昌幸の名胡桃城を奪取して秀吉と対立し敗れる。家康の助命で高野山に流された。
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