井伊直弼

金亀児童公園 井伊直弼銅像
彦根城 金亀児童公園 井伊直弼銅像(撮影 2017.12.3)

 彦根藩十三代藩主井伊直弼は、文化12年(1815)に十一代藩主井伊直中の十四男として彦根城の二の丸で生まれる。嘉永3年(1850)36歳で彦根藩主となった。

井伊家上屋敷 櫻の井戸
井伊家上屋敷 櫻の井戸(撮影 2017.1.18)

 安政5年(1858)大老に就任した井伊直弼は、勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印するとともに、紀伊藩主徳川慶福(十四代将軍徳川家茂)を将軍後継者に決定した。さらにこれらの決定に反対した尊王痍夷派や一橋派の人々を厳しく処罰した(安政の大獄)。これに憤激した水戸浪士ら18名(1名は薩摩藩出身者)は、万延元年(1860)3月3日午前9時頃、登城のため外桜田の上屋敷を出て桜田門にさしかかった直弼の行列を襲って殺害した。この日は春には珍しい大雪の日であった。この事件によって幕府の権威は急速に失墜することになった。

掃部山公園 井伊直弼像
掃部山公園 井伊直弼像(撮影 2016.1.17)

 掃部山公園は明治42年(1909)7月、横浜開港50年記念に際して、旧彦根藩有志が藩主の開港功績の顕彰のため、大老井伊掃部頭直弼の銅像を戸部の丘に建立し、その地を掃部山と名付けて記念した。

井伊直弼の墓
豪徳寺 井伊直弼の墓(撮影 2017.2.28)

 豪徳寺は大渓山洞春院と称し、高輪泉岳寺の末寺である。室町時代、世田谷城主吉良政忠が、文明12年(1480)、伯母(弘徳院)の病没に際し菩提のため建立した弘徳院が前身であると伝える。開山は馬堂昌誉。初めは臨済宗であったが、天正12年(1584)、曹洞宗に改宗した。寛永10年(1633)、彦根藩主井伊家の菩提寺となり、彦根藩二代藩主井伊直孝が葬られ、久昌院殿豪徳天英大居士の法名にもとづき豪徳寺と称した。

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