石田三成

石田三成像
長浜駅前 石田三成像(撮影 2017.12.3)

 近江国坂田郡石田村の地侍の家に生まれ、豊臣(羽柴)秀吉に仕えたのは、天正2年(1574)ごろだったという。近江の観音寺で学問修行をしていたが、そこへ立ち寄った秀吉に対して、温度を変えた3杯の茶を飲ませて感心させたという逸話は有名である。

秀吉・三成出逢の像
長浜駅前 秀吉・三成出逢の像(撮影 2017.12.3)

 天正11年(1583)、織田家を二分して柴田勝家と戦った賤ヶ岳の戦いにおいては一番槍の功名をあげ、さらには情報収集と工作活動でも活躍した。いつしか三成は、秀吉の天下統一事業には欠かすことのない武将となった。

忍城
忍城 模擬御三階櫓(撮影 2014.7.6)

 忍城は、関東平野の中央部、荒川と利根川の中間に広がる北武蔵の低湿地の自然堤防上に築かれた平城であった。
 天正18年(1590)、秀吉の小田原攻めの際、城主成田氏長は小田原城に赴き、留守の忍城を城代の成田泰季以下2600名で守備。その城を三成・長束正家が2万3000の大軍で包囲した。石田軍は湿地帯に取り巻かれたこの地を攻めあぐねたので、周囲に堤を築き水攻めにする戦術に切り替える。しかし、堤の構造が脆弱であったため、大雨で決壊し、かえって石田軍の陣地が水没し後退を余儀なくされた。小田原城が開城してから11日後にようやく開城する。

丸墓山古墳
埼玉古墳群 丸墓山古墳(撮影 2014.7.6)

 三成は、忍城より南東約3kmに位置する丸墓山という古墳に登り、忍城と一帯に広がる沼地を遠望。その結果、水攻めが最適に攻略方法と判断したという。

石田堤
埼玉古墳群 石田堤(撮影 2014.7.6)

 丸墓山古墳手前の「石田堤の一段高い桜並木」は、天正18年(1590)に秀吉の命を受けた三成が、忍城を水攻めした際の堤の一部である。長さ28km(一説には14km)に及ぶ堤をわずか5日間で築き、利根川と荒川の水を流水させたと言われている。

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