徳川慶喜(七郎麻呂)

千波湖畔 徳川慶喜(七郎麻呂)像
千波湖畔 徳川慶喜(七郎麻呂)公像(撮影 2012.3.20)

 十五代将軍徳川慶喜は、天保8年(1837)9月29日、江戸の小石川水戸藩邸(小石川後楽園)で水戸藩九代藩主徳川斉昭の七男として生まれた。母は斉昭の正室で、有栖川宮熾仁親王の第十二王女の吉子女王。幼名を七郎麻呂といい、「男子は国元で教育する」という斉昭の教育方針により水戸で育てられ、帝王学をたたき込まれた。弘化4年(1847)9月、十二代将軍徳川家慶の内密の意向て御三卿一橋家の世継となり、昭致と名乗る。12月には元服して、家慶の一字を賜り、慶喜と改名した。

大政奉還が発表された二条城 二の丸御殿大広間
二条城 二の丸御殿大広間(撮影 2010.1.11)

 政権を天皇に返上した徳川幕府に終止符を打った男。倒幕派から家康の再来と恐れられ、頭脳明晰として知られた。しかしその反面、複雑怪奇な言動でたびたび周囲を翻弄させた。鳥羽・伏見の戦いから逃げ帰った時は、幕臣や大奥から総スカンを食らっている。

谷中霊園 徳川慶喜の墓
谷中霊園 徳川慶喜の墓(撮影 2000.12.16)

 寛永寺墓地には慶喜の墓がある。それ以前の将軍が、増上寺徳川将軍家墓所、寛永寺霊園に葬られているのと異なるのは、最後の将軍という配慮からという。

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