稲村ケ崎

稲村ケ崎
稲村ケ崎(撮影 1999.11.27)
 霊仙山の丘陵が海中につきでた岬の部分である。稲村ヶ崎(景勝50選)の名の由来は、この岬を遠くから眺めると刈りとった稲をつみあげた稲叢に似ていることからきているといわれる。
史跡 稲村ヶ崎新田義貞徒渉伝説地の碑
史跡 稲村ヶ崎新田義貞徒渉伝説地の碑(撮影 1999.11.27)
 鎌倉時代、稲村ヶ崎は鎌倉の西の境界の地であり、稲村ヶ崎の名が広く知られているのは、新田義貞の鎌倉攻めのとき、義貞が竜神に祈願して海中に黄金造りの太刀を投じて海岸を徒渉したとの故事のためである。この故事は『太平記』に語りつがれていたもので、今でも一般に親しまれているが、『梅松論』や軍忠状から、ここの主戦場は霊仙山にあった仏法寺であることがわかった。18日に鎌倉を包囲、22日得宗北条高時以下を自刃に老い込み、鎌倉幕府を滅ぼした。(国史跡
ボート遭難慰霊碑(真白き富士の嶺碑)
史跡 ボート遭難慰霊碑(真白き富士の嶺碑)(撮影 1999.11.27)
 明治43年(1910)に起きた逗子開成中学校生徒のボート遭難事件の慰霊碑が建てられている。その年の1月23日の昼下がり、同校ボート部の生徒11人は、逗子小学校の児童ひとりを連れて、みぞれ混じりの悪天候のなか、ボートを海に出し、江の島に向かって、七里ケ浜から乗り出した。沖合に出た頃、たまたま襲った突風が、帆を張ろうとした作業中のすきをついて、ボートを転覆させてしまった。冷たい海中に投げ出された12人は、二度と帰らぬ人となってしまったのである。
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