小田原城址公園

渡櫓門
渡櫓門(撮影 2014.4.5)
 五代北条氏直の時代には、豊臣秀吉の来攻に備えて、天正18年(1590)三の丸の外側に町全体を囲む総延長9kmの惣構えが完成すると、城の規模は最大に達して日本最大の中世城郭となった。北条氏が滅び、関東に徳川家康が入封すると、家康は股肱の臣の大久保忠世に小田原城を与えた。とはいえ、江戸の近くにこのような巨城があるのは、敵に占領された場合に危険であるため、家康はみずから出向いて小田原城の外郭を取り壊し、規模を縮小している。
本丸広場
本丸広場(撮影 2014.4.5)
 小田原城を中心とした小高い一帯が小田原城址公園(公園50選)(国史跡)である。園内にはお城特有の城壁や堀が残っているが、地震その他で崩れている城壁も目につく。樹木はよく管理され、700本の桜、500本の梅、320本の松の下で、北條五代祭り、梅まつり、桜まつり、夏まつりなど多彩な催しがくりひろげられる。
 本丸にそびえる天守は、北条氏の時代にはなかったとされる。天守閣は大久保時代に建てられ、三代将軍徳川家光が天守閣に登って展望を楽しんだという。明治初年に取り壊されたが、昭和35年(1960)に鉄筋コンクリートで外観復元した。ただし、最上層の勾欄(欄干・手すり)はもとの天守にはなかった。最上層に登れば、小田原市街はもとより、晴れた日には房総半島を望むことができる。
天守閣(再建)
天守閣(再建)(撮影 2014.4.5)
 小田原城(景勝50選)の歴史は、大森氏が小田原地方に進出した15世紀初めごろからとされている。大森氏時代の城は、現在県立小田原高校がたっている東側の八幡山古郭とよばれる丘陵上にあった。明応4年(1495)に北条早雲が攻略し、大森藤頼を追放したのもこの城である。後北条氏の居城となってからは、関東支配の中心拠点として拡張整備が行われ、二の九・三の丸と城地は拡大していった。この間、永禄4年(1561)に上杉謙信、永禄12年(1569)には武田信玄が来襲するが退却した。
二の丸隅櫓(再建)
二の丸隅櫓(再建)(撮影 2014.4.5)
御感の藤
御感の藤(撮影 2003.5.3)
 大正天皇が皇太子のとき、小田原御用邸に滞在中のある日、西村邸の前を通過した際、召馬が藤棚の下に駆け入ったために殿下の肩に花が散りかかった。周囲の人々が恐縮していると「見事な花に心なきことよ」と感嘆されたことから、「御感の藤」(花の名所100選)と呼ばれるようになった。
2014.4.5 小田原城の桜(花吹雪)
2014.4.5 小田原城の桜(花吹雪)
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2010.5.3 小田原北条五代祭り
2010.5.3 小田原北条五代祭り
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