皇居東御苑 江戸城跡(天守台)

天守・本丸・二の丸御殿(模型)
江戸東京博物館 天守・本丸・二の丸御殿(模型)(撮影 2016.12.24)

 本丸御殿は、御玄関にはじまり、幕府の政庁である表、将軍の日常生活と執務を行う奥、御台所などが生活する大奥とに大別される。二の丸御殿は、おおむね前将軍の御台所や生母などの居所として機能し、本丸御殿と同様、表、奥・大奥からなった。

皇居東御苑 天守台
皇居東御苑 天守台(撮影 2011.2.13)

 江戸城(国特別史跡)は、12世紀の初め、桓武平氏秩父流の江戸重継が居館を構えたことに始まる。その後、長禄元年(1457)関東管領扇谷上杉氏の家宰太田道潅(資長)が、古河公方足利成氏に備えるために本格的な城郭を築いた。関東屈指の堅城といわれたこの城は、のちの江戸城の本九二の丸あたりと考えられている。道潅が上杉氏に謀殺されると、上杉氏の所有となるが、大永4年(1524)小田原の北条氏綱に攻略され、以後は北条氏の支城となった。

天守台
天守台(撮影 2011.2.13)

 最初の天守は慶応12年(1607)、すでに将軍職を二代将軍徳川秀忠に譲り大御所となっていた家康によって建てかえられた(通称、慶長度天守)。屋根には鉛瓦を使い、外壁は「まるで真っ白な雪山のよう」と評判になるほどに、耐火用の白漆喰で塗り込められていた。
 次の天守はすでに大坂の陣で豊臣家も滅んでいた元和9年(1623)、秀忠によってつくられた(通称、元和度天守)。

天守石垣
天守石垣(撮影 2011.2.13)

 そして最後の天守は、生まれながらの将軍である三代将軍徳川家光によって寛永15年(1638)に建てられた(通称、寛永度天守)。つまり将軍が変わるごとに天守は建て替えられ、場所も慶長度天守は本丸中央西側だったのが、元和度、寛永度は本丸の最北部へと変わっている。

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