日蓮上人

池上本門寺 日蓮上人像(説法像)
池上本門寺 日蓮上人像(説法像)(撮影 2011.3.4)
 日蓮は、貞応元年(1222)安房国東条片海(現、鴨川市)の漁師の子として生まれた。父はもと鎌倉幕府の役人で、訴訟に敗れてこの地に流されたと伝えられている。
 鎌倉・比叡山・高野山などで修行を積み、法華経こそが教の神髄であるとの信念をもち建長5年(1253)、故郷の清澄山の旭の森頂上で題目をとなえ、日蓮宗を開宗した。
安国論寺 本堂
安国論寺
本堂(撮影 2012.5.4)
 日蓮宗。山号は妙法華経山。妙法寺、長勝寺とならびここも日蓮の松葉ガ谷草庵の跡と伝える所で、日蓮が文応元年(1260)に五代執権北条時頼に提出した『立正安国論』を就筆したという岩穴、御法窟がある。
龍口寺 龍の口刑場跡
龍口寺 龍の口刑場跡(撮影 2003.3.21)
 当地は鎌倉幕府の刑場跡で、文永8年(1271)9月13日子丑の刻(午前2時)日蓮は立正安国論の諌言に、この刑場敷皮石(首・座)にすえられ時あたかも江の島の方より満月の如き光りものが飛び来りて、役人共は眼がくらみ、この奇瑞の為ついに聖人の首を斬ることが出来なかった。
東公園 日蓮上人銅像
東公園 日蓮上人銅像(撮影 2001.12.8)
 鎌倉幕府に提出された建白書「立正安国論」の中で外国からの侵略を予言され、それは文永の役(1274)、弘安の役(1281)と二度の元軍の侵攻とて適中しました。その古戦場である東公園に当時の国難をしのび、戦闘や暴風雨で尊い生命を失った両国の戦没者の霊を慰め、世界の平和を祈るために文永の役亀山上皇銅像と共に日蓮上人銅像の建立を発願された。
身延山久遠寺 本堂
身延山久遠寺 本堂(撮影 2010.3.31)
 明治8年(1875)の大火以来、本堂の再建は身延山の悲願でした。機熟し、日蓮上人第700遠忌の主要事業として、88世日慈上人代に着手、89世日康上人代を経て、90世日勇上人によって昭和60年5月入仏落慶式が行われた。内外装は木造仕上げ、外陣の天井画「黒龍」は加山又造画伯の力作、昭和61年度(1986)の建築業協会賞を受賞した総本山の根本殿堂にふさわしい規模と拡格調を備えている。
本行寺 日蓮上人ご臨終の間
本行寺 日蓮上人ご臨終の間(撮影 2001.12.8)
 晩年は身延山久遠寺に隠棲し弟子や信者の指導にあたったが、弘安5年(1282)9月8日病の悪化とともに身延山を出発、18日に武蔵国千束郷池上右衛門太夫宗仲の邸(現・本行寺境内)に到着し、10月13日の朝、この場所で入滅した。
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