湯島聖堂

仰高門
仰高門(撮影 2012.11.14)
 仰高門から入徳門へとすすみ、石段をのぼって 杏壇門を入ると、東西に石畳を敷き詰めた回廊があり、正面に 大成殿がある。
入徳門
入徳門(撮影 2012.11.14)
世界最大の孔子像
世界最大の孔子像(撮影 2012.11.14)
 孔子は中国の春秋時代の人で儒家の祖。仁の徳による政治を唱えた。「論語」は 孔子の言行録をまとめたものである。15歳で学問を志し、やがて魯に仕えて国政にかかわった。
楷樹(カイノキ)
楷樹(カイノキ)(撮影 2012.11.14)
  は曲阜にある 孔子の墓所に植えられている名木で初め子貢が植えたと伝えられ、今日まで植え継がれてきている。枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源ともなったといわれている。
杏壇門
杏壇門(撮影 2012.11.14)
 湯島聖堂(国史跡)は再三火災にあい、その度に再建されてきた。現在の建物は、関東大震災で入徳門・水屋を除いて類焼し、昭和10年(1935)にコンクリート造で再建されたものであるが、寛政11年(1799)十一代将軍家斉が、明制にならって、黒漆を塗り、屋根に銅瓦をふいた荘重な様式を踏襲している。
大成殿(孔子廟)
大成殿(孔子廟)(撮影 2012.11.14)
 好学で知られる五代将軍徳川綱吉(1646〜1709)は、廟地が狭いうえ、寺院にも隣接しているのを嫌い、同時に幕府の力でより大きな孔子廟を営もうと、湯島への移転を命じた。大成殿と付属施設からなる壮大な聖堂を中心に、西側一帯(現在の東京医科歯科大学)には御成御殿や学寮を設け、林信篤を大学頭に任じ、幕府官学の拠点にふさわしい規模とした。綱吉自筆の「大成殿」の扁額を掲げ、自ら経義を講じたほどであった。その後、儒学各派の発展によって、朱子学は衰退気味となっていたが、寛政2年(1790)、武士の学問を重視した老中松平定信は、儒学のなかで朱子学を正学とし、他の学派を異学とする寛政異学の禁を定めて、朱子学の振興をはかった。柴野栗山・岡田寒泉ら林家の系統以外の学者を教官に登用し、寛政9年(1797)には聖堂西隣に学寮・宿舎を建てるなど、施設の整備拡充をはかり、幕府の正式の学校とした。やがて昌平坂学問所と名づけられ、直参の子弟のほか、諸藩の俊才が青雲の志を抱いて集まる最高の学府となった。
鬼\頭(左端)
鬼\頭(左端)(撮影 2012.11.14)
 大成殿の屋根は、入母屋造の銅本丸茸で、大横の両端には魔除けの青銅製 鬼\頭が、下り棟と隅棟には 鬼竜子が置いてある。
鬼竜子(右端)
鬼竜子(右端)(撮影 2012.11.14)
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