吉良上野介義央

吉良上野介義央坐像
吉良邸跡 吉良上野介義央坐像(撮影 2016.12.24)

 両国公園の西隣り、両国小学校のさらにすこし西に、なまこ壁に囲まれた本所松坂町公園がある。元禄18年(1702)12月14日、赤穂四十七士が討ち入りしたところで、だれもが「忠臣蔵」として知るところである。

本所松坂町公園
吉良邸跡 本所松坂町公園(撮影 2016.12.24)

 吉良上野介ははじめ鍛冶橋内に屋敷を拝領していたが、元禄14年8月御用地として幕府に召し上げられ、一時子供の上杉弾正大粥の屋敷に引きあげ、同年9月本所松坂町の松平登之助の屋敷を拝領した。この屋敷は浪士討ち入り後、元禄16年3月に没収されているから、吉良邸がここにあったのはわずか一年半に満たない期間であった。

週末ウォーキング