彦根藩主井伊家墓所

彦根藩主井伊家墓所
豪徳寺 彦根藩主井伊家墓所(撮影 2017.2.28)

 井伊家は、遠江国井伊谷を中心に勢力を持った武士で、戦国時代には今川氏の配下にあった。井伊家二十四世とされる直政は天正3年(1575)、15歳で徳川家康に仕え、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦においては、自ら先鋒を務め東軍の勝利に貢献した。合戦後、直政は近江国などに十八万石を与えられ、初代藩主として彦根藩の礎を築いた。続く二代直孝も大阪の陣で功績をあげ、近江国、下野国、武蔵国世田谷にあわせて三十万石を有する譜代大名の筆頭格となった。以降、幕末までこの家格は堅持され、藩主は江戸城溜間に控えて将軍に近侍し、時には大老職に就き幕府政治に参与した。井伊家墓所として、江戸で亡くなった藩主や家族がここに葬られた。

二代藩主井伊直孝の墓
二代藩主井伊直孝の墓(撮影 2017.2.28)

六代藩主井伊直恒の墓
六代藩主井伊直恒の墓(撮影 2017.2.28)

九代藩主井伊直禔の墓
九代藩主井伊直禔の墓(撮影 2017.2.28)

十代藩主井伊直定の墓
十代藩主井伊直定の墓(撮影 2017.2.28)

十三代藩主井伊直弼の墓
十三代藩主井伊直弼の墓(撮影 2017.2.28)

 井伊直弼は井伊直中の子で、兄を継ぎ藩主となり、ついで寛永3年(1850)4月大老になる。勅許を待たず日米修好通商条約など安政五ケ国条約に調印。また紀伊藩主徳川慶福(十四代将軍徳川家茂)に決定し、反対派の一橋慶喜(のちの十五代将軍徳川慶喜)らを抑えるという強い政策を実施。さらに安政の大獄を断行するに及んで、常に暗殺の危険にさらされ、遂に万延元年(1860)3月、江戸城外桜田門外において、水戸・薩摩の浪士らに暗殺された。

十四代藩主井伊直憲の墓
十四代藩主井伊直憲の墓(撮影 2017.2.28)

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