清水寺・金閣寺・二条城
(世界文化遺産)

mark清水寺(きよみずでら)

 東福門院(徳川家光の妹で後水尾天皇中宮)の発願、家光の寄進により再建された。本堂のもっとも奥、内々陣中央に安置されている厨子3基は、江戸時代初期を代表するもので、中央の厨子に本尊木造十一両観音立像を、左右の厨子に地蔵菩薩立像と毘沙門天立像を安置する。本堂外陣の欄間を中心に、江戸時代の扁額式大型絵馬が28点かけられている。なかでも海北友雪筆「坂上田村麻呂東征奮戦の図」絵馬は、縦約3m・横約10mと日本最大級のものである。

清水寺本堂
清水寺本堂

奥の院
奥の院

三重塔と本堂の全景
三重塔と本堂の全景

音羽の滝
音羽の滝

金閣(鹿苑寺)
金閣(鹿苑寺)

mark金閣寺(きんかくじ)

 足利義満は、父義詮が病で死去すると、10歳の義満が三代将軍となった。幕府は、管領の細川頼之をはじめ、足利派の守護大名が執り行い、義満はその中で政治を学んだ。義満のもうひとつの懸案だったのは南北朝問題であった。南北朝前は、南朝系の大覚持統と北朝系の持明院統が交互に天皇を立てていたが、それ以後も両統が交互に皇位につくこと(両統送立)を条件に、三種の神器の北朝側への返還を求めた。
 金閣の前にある鏡湖池を中心とし、葦原島など大小の島々や、当時の諸大名がきそって石を献納して、その名が付けられた畠山石や赤松石・細川石などの名石が配されている。西の衣笠山を借景としたこの庭園は室町時代の代表的な池泉回遊式庭園である。

二の丸御殿
二の丸御殿

mark二条城(にじょうじょう)

 慶長8年(1603)徳川家康が、京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営し、三代将軍徳川家光が、伏見城の遺構を移すなどして、寛永3年(1626)に完成したもので、家康が建てた慶長年間の建築と家光がつくらせた絵画・彫刻など、いわゆる桃山文化の全貌を見ることができる。武家風書院造の代表的な御殿建築で、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟が東南から西北にかけ雁行に並んでいる。各部屋の障壁画は狩野派の手によるもので、部屋の目的に応じて描かれている。また欄間の彫刻、飾金具、長押に打たれた花熨斗形の釘隠しなどは、金飾あざやかに豪華を極めている。

二の丸庭園
二の丸庭園

本丸御殿と庭園の全景
本丸御殿と庭園の全景

週末ウォーキング