紅葉の源氏山公園から稲村ヶ崎へ
(北鎌倉~稲村ヶ崎)

北鎌倉駅(JR横須賀線)~源氏山公園~銭洗弁財天~長谷配水池広場~極楽寺~稲村ヶ崎駅(江ノ島電鉄)
mark源氏山公園(げんじやまこうえん)

 浄智寺の参道左脇の道を通り過ぎて、大仏ハイキングコースの道を登り始める。好天気にも恵まれた土曜日なので、ハイキングコースは源氏山公園周辺の散歩と紅葉を楽しもうとする人達で並んでいた。

葛原ガ岡神社
葛原ガ岡神社
源頼朝像
源頼朝像(公園50選)

 葛原ガ岡神社は鎌倉時代、ここは処刑場で日野俊基を始め多くの人々が処刑された所で、神社にはその日野俊基が祀られている。
 鎌倉幕府を開いた源頼朝は、久安3年(1147)に源義朝の3男として京都で生まれ、平治元年(1159)、平治の乱が起きると、父義朝と兄義平らが戦いに負けて非業の最期をとげ、自身は14歳で伊豆蛭ケ小島(静岡県伊豆の国市)へと配流された。平家の棟梁である平清盛は、頼朝を死罪にして源氏の嫡流を根絶やしにしようとした。だが、清盛の続母である池禅尼が、幼くして亡くした子どもに頼朝が似ていたことから命乞いをし、頼朝は救われたとされる。

真っ赤な紅葉
真っ赤な紅葉

 源氏山公園はクヌギやコナラなどの樹木に囲まれた芝広場が広がり、桜の名所(花の名所100選)として知られている。とても解放感があって気持ちいい公園である。今日は風もなく、暖かい日射しだったのでベンチや芝生の上でのんびりする人も多かった。そして、真っ赤な紅葉を楽しんでいた。

mark銭洗弁財天(宇賀福神社)(ぜにあらいべんざいてん)

 祭神は水の神とされ、体は蛇で頭は人の形をしている宇賀福神である。御神体を祀る洞窟の水でお金を洗って使うと、ふえるとの伝説が早くからあり、今でも巳の日には多くの人々が参詣してにぎわいをみせている。

銭洗弁財天
銭洗弁財天
多くの参拝客
多くの参拝客

 もと扇ガ谷の八坂神社の末社であったが、昭和45年(1970)独立し、社名を銭洗宇賀福神社とした。鳥居が林立する境内の奥の洞窟に、宇賀福神と銭洗弁財天をまつっている。
 神社に伝わる縁起によれば、源頼朝は鎌倉にはいってまもない巳月巳日、夢枕にあらわれた宇賀福神と名乗る隠里の老人が説く洞内湧水の功徳にしたがったところ、国内は平穏におさまったという。宇賀福神は、福徳をもたらす神とされ、体はヘビで頭は人の形をしているという。

お金を洗う人
お金を洗う人
七福神社
七福神社

 お札や硬貨を入れたザルでお金を洗う人で、薄暗い洞窟の中は込み合っていた。

mark長谷配水池広場(はせはいすいいけひろば)

 源氏山公園から大仏ハイキングコースへ向うと、多少人通りは少なくなる。
 大仏坂トンネル出口の車道へ下りる手前で、長谷配水池広場へ通じる階段を登る。結構辛い登りだったので、ここで、しばらくの間休憩をとる。
 この大仏坂トンネルの北方上から、常盤のバス停の見下付近にいたる参道が「大仏坂切通し」である。

長谷配水池からの眺め
長谷配水池広場からの眺め
mark極楽寺(ごくらくじ)
極楽寺切通し
極楽寺切通し(古道50選)
極楽寺
極楽寺

 七切通しの一つ。極楽寺開山の忍性が、鎌倉から腰越、片瀬へ通じる道として、正元元年(1259)に開いたとされ。鎌倉時代の切通しは現在の道より高く、道沿いの成就院の門前を通っていたといわれ、江戸時代以降に掘り下げ、幅を広げたものと思われる。
 極楽寺の境内に入ると、黄色のツワブキ(フキに似た形の葉は厚く、柄が長い。秋から初冬にかけて花茎を出して、黄色の頭状花を房状につける)が咲いていた。

本堂
本堂
ツワブキ
ツワブキ

 地獄谷と呼ばれたこの地に北条重時が創建したと伝え、開山は良観坊忍性である。実際に寺容が整ったのは重時の子長時・業時の代で、忍性が入寺した文永4年(1267)以降と思われる。本堂前には、この事業に使ったと伝える千服茶臼・製薬鉢が残っている。

mark稲村ヶ崎(いなむらがさき)
稲村ヶ崎
稲村ヶ崎(景勝50選)
稲村ヶ崎 史跡
稲村ヶ崎 史跡(国史跡)

 稲村ヶ崎は霊仙山の丘陵が海中につきでた岬の部分である。稲村ヶ崎の名の由来は、この岬を遠くから眺めると刈りとった稲をつみあげた稲叢に似ていることからきているといわれる。鎌倉時代、稲村ヶ崎は鎌倉の西の境界の地であり、稲村ヶ崎の名が広く知られているのは、新田義貞鎌倉攻めのとき、義貞が竜神に祈願して海中に黄金造りの太刀を投じて海岸を徒渉したとの故事のためである。

2016.9.4 薩摩琵琶のしらべ(演目:遠干潟の一部)
2016.9.4 薩摩琵琶のしらべ(演目:遠干潟の一部)
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ボート遭難慰霊碑(真白き富士の嶺碑)
ボート遭難慰霊碑(真白き富士の嶺碑)

 新田義貞の碑の近くには、明治43年(1910)に起きた逗子開成中学校生徒のボート遭難事件の慰霊碑が建てられている。その年の1月23日の昼下がり、同校ボート部の生徒11人は、逗子小学校の児童ひとりを連れて、みぞれ混じりの悪天候のなか、ボートを海に出し、江の島に向かって、七里ケ浜から乗り出した。沖合に出た頃、たまたま襲った突風が、帆を張ろうとした作業中のすきをついて、ボートを転覆させてしまった。冷たい海中に投げ出された12人は、二度と帰らぬ人となってしまったのである。

景勝50選の石碑
景勝50選の石碑
夕日
夕日

稲村ヶ崎の夕景(10月)
稲村ヶ崎の夕景(10月)

 稲村ヶ崎からの展望は、右手に富士山、左手に江の島、眼下に七里ヶ浜海岸を見下ろす眺めは素晴らしい。

真冬の稲村ヶ崎の夕景(1月)
真冬の稲村ヶ崎の夕景(1月)

⇒ 北鎌倉~稲村ヶ崎周辺 ウォーキングマップ