強羅駅の下にある宮城野橋で、私ともう一人の登山者(明星ケ岳へ向った)がバスから降りる。最近の週末天気はよくない日が続いていたが、今日は秋晴れの好天気に恵まれ、絶好のハイキング日和であった。途中、明神ケ岳の登山道から外れてしまい別荘地域内の坂道を歩く。ただ、後正面に見える駒ケ岳・神山・小涌谷が美しく眺めることができた。
宮城野から宮城野分岐までは、誰一人すれ違う登山者がいなかった。ここは、明神ケ岳(自然)へ登る道と明星ケ岳へ通じる分岐路となっている。
「明星ケ岳は、箱根外輪山にあってカヤトに覆われた緩やかな山。東面に広いすそ野が広がり、西面は急激に落ちこみ、そのすそを早川の流れが岩をかむ。 小田原市内からこの山にかかって、ひときわ大きく輝く宵の明星が見えるところから、そう呼ばれるようになったと伝えられる。宵の明星は金星のこと。山に星の名をあてた昔の人のロマンがうれしい。また、この山は大文字山とも呼ばれてきた。毎年8月16日の夜、強羅側の山腹から見ると、この山に大文字が赤々と浮かびあがる。」(※)
「明神ケ岳は箱根外輪山の東部にあって、長大なすそ野を東にのばしている。頂上が箱根町と南足柄市の境界で、西面には一部に荒々しい旧爆裂口の絶壁を見せている。昔の"箱根道"の中で最も古い道に碓氷道がある。この古道は、乙女峠から仙石原に下り、火打石岳や明神ケ岳の中腹をまいて宮城野に下る。宮城野から明神ケ岳を越えて関本にでる。」(※)
明神ケ岳山頂には沢山の登山者がいて、新雪の富士山を眺めながら休憩をしていた。秋晴れ、風もなく、いつまでも休んでいたい絶景ポイントです。約20分休憩をとり、山頂から少し戻って最乗寺へ向って下り始める。
明神岳見晴小屋へ下る登山道は、非常に歩き易く、ついついスピードが付いてしまう程であった。ただ、登って来る登山者が多く「こんにちはー」と挨拶を交し、その度に足を止めて待つ事が明神岳見晴小屋まで続いた。
見晴小屋前の腰掛けで、水分補給と背中の汗が引くのを待ちながら、しばらくの間休憩をとった。
見晴小屋から約30分下ると最乗寺に出る。紅葉の綺麗な季節でもあり、広い境内には観光客が沢山訪れていた。
「応永元年(1394)に了庵慧明禅師が開山した大雄山最乗寺は、福井県永平寺、横浜市鶴見の總持寺につぐ格式をもつ。大住郡糟屋荘(現、伊勢原市)出身の了庵は、晩年上蘇我に住んだが、ある日1羽のワシが袈裟をくわえて、この地にとんできたのが縁として寺をたてたという。」(※)
毎月第2・4土曜日、境内で「仏像を彫る教室」が開講されている。
僧堂は聖僧文殊菩薩を祀るところから僧堂と言われ、他に選仏堂、雲堂、とも言われ修行僧が日夜坐禅・弁道に励む根本道場です。
御真殿は当山守護妙覚道了大薩をご本尊に大天狗・小天狗が両脇侍として祀られている。
創建に五百人力で貢献した弟子の妙覚道了大薩(た)は、応永18年(1411)了庵が没すると、大天狗になり身を山中に隠したと伝えられる。このため地元では「道了尊」ともよばれる。境内には道了にちなんで多くの下駄が奉納されている。
大雄山最乗寺の名物となっている杉並木は、第二次世界大戦の折、供出という軍部の命令のもと、数多くの大木が伐採されたが、それでも現在樹齢二百年以上の杉が約二万本あり、それらが大部分を占めているという。
最乗寺からは、仁王門まで続く遊歩道「てんぐのこみち」(古道50選)を歩く。遊歩道の両側には、樹齢450年から600年以上の杉並木が鬱蒼としげっている。