鶴岡八幡宮・荏柄天神社散歩
(鎌倉~荏柄天神社)

鎌倉駅(JR横須賀線)~段葛~鶴岡八幡宮~白旗神社(源頼朝墓・北条義時墓)~荏柄天神社
mark段葛(だんかずら)
鎌倉駅
鎌倉駅
明治大学応援団の吹奏パレード
明治大学応援団の吹奏パレード

段葛
段葛(花の名所100選)

 二の鳥居から門前の三の鳥居まで若宮大路の中央部に二条の堤を築いて葛石を積み重ねたところを段葛という。寿永元年(1182)、源頼朝政子の安産祈願のためにつくらせた参詣者で、もとは海岸まであったという。

以前の段葛ソメイヨシノ
以前の段葛ソメイヨシノ
人力車も大繁盛
人力車も大繁盛

mark鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)
三の鳥居
三の鳥居
太鼓橋
太鼓橋

 三の鳥居をくぐると太鼓橋がある。もとは木製朱塗で赤橋といい、将軍下場の「上の下馬橋」である。右手が源氏池で、中に三つの島があり、左手の平家池には四つの島がある。

本宮(上宮)と舞殿
本宮と舞殿(国史跡)

 源頼朝による鎌倉都市計画の基礎が鶴岡八幡宮と若宮大路で、それは平安京の大内裏と朱雀大路になぞらえることができる。本宮は、建久2年(1191)、鎌倉の大火で焼失したため、改めて石清水八幡宮を勧請し、大臣山の中腹に社殿を造営した。祭神は応神天皇、比売大神、神功皇后である。このとき若宮(下宮)も再建し、上下両宮の姿が整い、石清水にならって鶴岡八幡宮と称した。

舞殿
舞殿
若宮(下宮)
若宮(下宮)(国重要文化財)

 若宮は、下宮といわれ仁徳天皇や履中天皇などをまつる。江戸幕府二代将軍徳川秀忠が着工し、三代将軍徳川家光の寛永3年(1626)に完成した若宮社殿は、拝殿から弊殿と本殿を連ねた権現造で、華麗な色彩や彫刻は日光東照宮を思わせるみごとなものである。

大銀杏
大銀杏
倒れる前の大銀杏と大石段
倒れる前の大銀杏と大石段

 三代将軍源実朝は、承久元年(1219)1月27日、右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に参詣したあと、頼家の遺子公暁に暗殺された。公暁が隠れていたと伝承される大銀杏は、平成22年(2010)3月10日、強風によって倒れてしまった。再生・再起を願い、大石段側の元の場所に残された根本保存、倒伏した大銀杏の本体(親木)は、西側(左)へ移植した。元の場所に残された根からの若い木が勢い良く伸び出し、移植した幹からも芽生し葉を付けるまでになった。大銀杏の後継樹としての若木の選定、また親木の再生根の確認ができるまでには数年の観察が必要である。

本宮(上宮)
本宮(上宮)(国重要文化財)
鶴岡八幡宮宝物殿入口
鶴岡八幡宮宝物殿

 宝物殿は古神宝類、舞楽面五面、江戸時代初期の神輿、豊臣秀吉が天正19年(1591)に徳川家康に造営を命じたときの「鶴岡八幡宮修営目論見絵図」などを収蔵し、その一部が陳列されている。

神輿
神輿
神輿
神輿

 神輿は、桃山期から江戸初期頃の形態特徴をもち、左方三基が本宮、右方四基が若宮の神輿である。若宮の神輿は、本宮の神輿に比してやや小柄だが概ね形式は同じである。
 9月15日の例大祭は、神幸祭に本宮の神輿三基が出御し、錦旗、神馬などの行列が二の鳥居まで進み、御旅所祭が行われ、古くから伝わる八乙女神楽が奉納される。

旗上弁財天社
旗上弁財天社
源氏池
源氏池

源氏池の蓮
源氏池の蓮

 鶴岡八幡宮は、武家の守り神として尊崇され、鎌倉幕府の滅亡後も、足利家徳川家によって手厚い保護を受けた。太鼓橋の東の源氏池には3つの島があり、3は「産」に通じて源氏の繁栄を表わしたとされる。

鶴亀石
鶴亀石
鎌倉国宝館
鎌倉国宝館

 水で洗えば鶴亀のような輝きを出すと伝えられる名石。
 国宝館の陳列品は、国宝で大覚禅師自賛像・大覚禅師墨蹟「法語規則」、当麻曼荼羅縁起、籬菊螺鈿蒔絵硯箱・古神宝類(鶴岡八幡宮)がある。他に、国重要文化財などが展示されている。

白旗神社 石鳥居
白旗神社 石鳥居
源氏の家紋(笹竜胆)
源氏の家紋(笹竜胆)

 源氏の中でもっとも繁栄したのが清和源氏である。源氏とは、もともと嵯峨天皇が、皇室と源(祖)を同じくするという意味で、皇族に与えた名誉の姓である。
 それぞれの天皇を祖とする源氏の中で、清和天皇の第六皇子貞純親王と、その子源経基が力をつけた。陸奥での紛争を納めた源頼家・義家親子は、東国武士団と主従関係を結び、武家の棟梁(指導者)としての地位を固めた。東国の武士は、こぞって義家に土地を寄進して保護を求めたため、朝廷は源氏の強大化をおそれ、寄進を禁じたほどである。鎌倉幕府の倒幕に活躍した新田氏や、室町幕府を興した足利氏も、清和源氏の流れをくんでいる。

白旗神社
白旗神社

 源頼朝公、源実朝公がお祀りされており、黒塗りの御社殿が印象的である。祭神の御神徳にあやかり必勝や学業成就の信仰のあつい神社である。

2014.4.20 鶴岡八幡宮鎌倉まつり流鏑馬youtube

 4月の「鎌倉まつり」では、静の舞とともに流鏑馬が奉納されている。

ぼんぼり
ぼんぼり
ぼんぼり
ぼんぼり

朝丘雪路さん
朝丘雪路 さん
みのもんた さん
みのもんた さん

 立秋の前日より行われる「ぼんぼり祭」は、鎌倉の文化人などにより書画が奉納されたものが、ぼんぼりとして境内に掲揚されるもので、初日は夏越祭といい、夏のおわりに行う「夏越の祓」とともに、「茅の輪くぐり」が行われ、翌日は立秋祭が行われる。8月9日は源実朝誕生の日にあたり、実朝祭が行なわれる。

2015.9.16 鶴岡八幡宮 流鏑馬神事(例大祭)youtube

 流鏑馬神事は、頼朝が文治3年(1187)八幡宮に奉納したのにはじまり、神酒拝戴式ののち、奉行・射手・諸役が馬場入りし、鎌倉時代を思わせる華麗な狩衣姿の馬上の射手が、鏑矢で3つの的を射る勇壮なものである。

2016.10.2 鶴岡八幡宮 流鏑馬(崇敬者大祭)youtube

 崇敬者(槐の会)大祭において、毎年10月初旬に流鏑馬神事が行なわれている。一般参拝者も拝観できる。

mark白旗神社(しらはたじんじゃ)

 白旗神社がある場所は、源頼朝の墓所をまもり、頼朝の霊をまつる法華堂(墳墓堂)があって、江戸時代は鶴岡供僧相承院が兼務していたが、明治初年の神仏分離令に伴い撤去された。堂内にあった如意輪観音や、地蔵菩薩・自休像などは来迎寺に移された。その後の明治5年(1872)、背後の山腹を削りとり1.7m地表に盛土をして、白旗神社が建立され頼朝の霊をまつるようになった。

白旗神社
白旗神社
源頼朝の墓
源頼朝の墓(国史跡)

 頼朝は相模川橋梁視察の帰路の落馬が原因で53歳の生涯を閉じた。遺体は頼朝の持仏堂に安置され、これがのちに法華堂と呼ばれるものである。

mark荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)
入口
入口
拝殿
拝殿(国史跡)

 荏柄天神社は、縁起によれば、長治元年(1104)8月25日に雷雨とともに天神画像がくだり、里の人が社殿をたてその画像をおさめ、大イチョウの木を植え、神木としたという。大倉幕府の鬼門の守護神として崇拝されたと伝えられる。
 九州の太宰府天満宮や京都の北野天満宮と並ぶ日本三天神の1つに数えられている。明治の神仏分離まで、東寺の末寺である一乗院(廃寺)が別当として管理していた。神門をはいると、左右に紅梅と白梅を配したさきに、鶴岡八幡宮の仮殿を移した拝殿と本殿からなる社殿がある。

大イチョウ
大イチョウ
絵筆塚
絵筆塚

 大イチョウは鎌倉では鶴岡八幡宮につぐ大木である。根回り6.5m、樹齢は900年と伝える。
 拝殿の左手に「絵筆塚」がある。清水昆、横山隆一らによって建てられたもので、自然石には「漫画家154人の河童絵」がぎっしりと描かれている。訪れた人は、ユニークに描かれた河童達を眺めながら微笑んでいた。

⇒ 鶴岡八幡宮周辺 ウォーキングマップ