鎌倉宮から杉本寺・報国寺へ
(鎌倉宮~青砥橋)

大塔宮バス停~杉本寺~報国寺~青砥橋バス停(京急バス)
mark鎌倉宮(かまくらぐう)

 鎌倉宮前の駐車場は乗用車や観光バスが駐車出来るので、訪れる観光客は多かった。

鎌倉宮
鎌倉宮

 鎌倉宮は、明治2年(1869)明治天皇により、後醍醐天皇の皇子護良親王を祀るために建てられた。護良親王は僧となってその門室を大塔といったので大塔宮とよばれた。

拝殿の獅子頭守
拝殿の獅子頭守
厄割り石
厄割り石

 拝殿の獅子頭守は、護良親王が戦の時に兜の中に獅子頭の小さなお守りを忍ばせて自らの無事を祈った事が由縁である。
 厄割り石は、盃に大きく息を吹きかけ石に投げて割り、厄(わるいもの)を祓う。

村上社
村上社
村上義光の像
村上義光の像

 村上義光公は護良親王の忠臣にして、元弘3年(1333)正月、吉野城落城の折、最早これまでと覚悟を決めた護良親王は、別れの酒宴をされました。そこへ村上義光公が鎧に十六本もの矢を突き立てた凄まじい姿で駆けつけ、親王の錦の御鎧直垂をお脱ぎいただき、自分が着用して「われこそは、大塔宮護良親王ぞ、汝ら腹を切る時の手本とせよ」と告げて腹を一文字に掻き切り、壮絶な最期をとげ、その間に親王は、南に向かって落ちのびました。
 このように身代わりとなられた村上義光公を、境内の樹齢103年の欅の大木にて彫り上げ「撫で身代わり」として入魂いたしました。(説明板より)

カンザクラ(2月初旬)
カンザクラ(2月初旬)
明治天皇御在所
明治天皇御在所

土牢
土牢
宝物殿
宝物殿

 護良親王が9か月間幽閉されていたと伝わる土牢で、鎌倉宮本殿の背後に位置する。深さ約4m、広さ8畳敷程度である。
 後醍醐天皇の皇子護良親王は、鎌倉幕府倒幕計画に加わり、還俗して護良と改め、千早城の楠木正成と呼応して吉野城で鎌倉幕府の軍勢を悩ませ、幕府打倒に貢献した。建武の新政では征夷大将軍・兵部卿となったが、後醍醐天皇や足利尊氏と対立を深め、ついにとらえられ、鎌倉に流された。建武2年(1335)北条時行が鎌倉に乱入した際、鎌倉にいた足利直義の命により、淵辺義博に殺された。
 宝物殿は、明治天皇下賜額など多数の宝物が陳列されている。

mark杉本寺(杉本観音)(すぎもとでら)
吽形像
吽形像
阿形像
阿形像

 山門にそびえている仁王像は運慶の作と言われてい る。
 仁王門の両側には立派な仁王像があり、参拝者を睨みつける。門の上から本堂に登る苔生した石段の深い緑が美しい。写真の撮影ポイントである。

苔生した石段
苔生した石段
苔生した石段
苔生した石段

本堂
本堂

 鎌倉幕府創設以前から存在し鎌倉最古の寺院と伝承されている。『吾妻鏡』によれば文治5年(1189)の大火のさいに、本尊を救い出した僧が猛火の中、火傷一つおわなかったとの伝承があり、寺の縁起にはそのさい本尊が自ら歩いて杉の木の下へ避難したので杉本観音といわれたとある。本堂奥には3体の十一面観音を安置している。

mark報国寺(ほうこくじ)
本堂
本堂

 開山は天岸慧広(仏乗禅師)、建武元年(1334)の開創といわれる。開基は足利尊氏の祖父家時といわれているが、宅間上杉氏の祖重兼という説もあり、家時のたてた寺を重兼が報国寺としたのではないかともいわれる。

十月桜
十月桜
大きなやぐら
大きなやぐら

 境内は石庭、そして樹々の手入れも十分されている綺麗なお寺で、訪れる参拝客も多い。本堂手前では「十月桜」が白い花を咲かせていた。

竹の庭
竹の庭

竹林
竹林

茶室
茶室

 竹の庭では約2000本の孟宗竹の景観が見られる。茶席で抹茶をいただきながら、のんびりと竹林を眺めるのも趣がある。

⇒ 浄明寺・瑞泉寺周辺 ウォーキングマップ