箱根旧街道を下る(元箱根〜箱根湯本)

週末ウォーキング/かながわ名所ウォーキング/西湘地域ウォーキング
元箱根バス停(箱根登山鉄道バス)〜甘酒茶屋畑宿箱根湯本〜箱根湯本駅(箱根登山鉄道)
(約12km/4時間)

元箱根

賽の河原の石仏
賽の河原の石仏
国史跡

 この地は地蔵信仰の霊地として、江戸時代、東海道を旅する人々の信仰を集めたところです。その規模は大きく、多数の石仏・石塔が湖畔に並んでいました。

「旧東海道」の説明板
「旧東海道」の説明板

 元箱根から箱根旧街道に入ると石畳の道が続くが、きちんと敷き詰められており歩きやすい。また、要所要所には、「石畳について」「旧東海道」「二子山について」「石畳の構造」などの説明板があり、江戸時代の歴史について、いろいろと教えてくれる。

 今の季節は一番美しい箱根ですが、残念ながら朝から雲空で、芦ノ湖湖畔からの富士山は望めなかったが、成川美術館近くの「賽の河原」では、真赤に染まったモミジが映えて美しかった。箱根旧街道は、江戸時代の五街道の一つ。参勤交代の大名や人馬の往来が盛んであったといわれる。現在も石畳、杉並木、関所跡が残り多くの人に親しまれる。

石畳の道
箱根旧街道

 箱根旧街道は、江戸時代の五街道の一つ。参勤交代の大名や人馬の往来が盛んであったといわれる。現在も石畳、杉並木、関所跡が残り多くの人に親しまれる。
 江戸時代の始めそれまで利用していた湯坂道のかわりとして利用されてるようになったもので有名な「箱根八里」は、この道である。この道に敷かれている石畳は延宝8年(1680)に江戸幕府が布設したものですが、其の後、文久元年(1863)孝明天皇の妹和宮内親王が十四代将軍徳川家茂のもとに降娘される際に全面的に改修されたと云われている。

馬子唄の碑
馬子唄の碑

 馬子唄の碑から約10分歩くと、甘酒茶屋に着いた。

甘酒茶屋

甘酒茶屋
甘酒茶屋
 赤穂浪士の一人、神崎与五郎詫証文伝説を伝えるこの甘酒茶屋は、畑宿と箱根宿のちょうど中ほどにあり、旅人が一休みするには適当な場所でした。当時この茶屋は箱根八里間で十三軒あり、甘酒を求める旅人でにぎわった。

 甘酒茶屋で「甘酒と力餅ち」を食べながら一休みする。(美味しいですよ!)甘酒茶屋は賑わっていた。

箱根旧街道資料館
箱根旧街道資料館

 東海道を歩いた旅人の携帯品や、街道で活躍した荷車など展示されている。パネルでは、江戸時代の版画と現代の写真を比較しながら、風景の移り変わるさまを確認できる。

神崎与五郎詫証文の場
神崎与五郎詫証文の場

 ここの甘酒茶屋から、猿すべり坂・樫の木平見晴台を通りながら、畑宿に向かってさらに下る。

甘酒と力餅ち(胡麻きなこ)
甘酒と力餅ち(胡麻きなこ)

館内の展示
館内の展示

七曲がり
七曲がり

 旧道と新道が交差する「七曲がり」付近では、急な坂道の連続で走る車も、急ハンドルと急ブレーキの多用で苦戦しているかな!?

畑宿(はたじゅく)

 小田原宿と箱根宿の間には湯本のほかにも立場がいくつか置かれ、茶屋や名物の寄木細工の店が集まっていた。そのうとのひとつが、箱根宿まで残り1里8町(約4.8km)のとこにあった立場・畑宿。ここから西海坂道、樫木坂、猿滑坂といった急な坂道が続き、箱根八里のなかでも最大の難所といわれた。

寄木細工の作品
寄木細工の作品

職人さんの実演
職人さんの実演

畑宿旧街道一里塚
旧街道一里塚

 江戸日本橋を出発した旅人が距離の目安にした一里塚。現在、本物の一里塚はあまり残っていないが、これは当時の姿を伝える貴重なものだ。江戸からは23里(約92Km)の位置にある。

畑宿
畑宿

五重の塔
畑宿寄木細工会館

 畑宿には、寄木細工の作品を展示する畑宿寄木細工会館や、職人さんの実演をしているお店があり、訪れた観光客は熱心に見入っていた。

箱根湯本・早雲寺

はつ花本店
はつ花本店

 帰りの土産に、「月のうさぎ」と「ゆもち」(ゆず風味の白玉の中に角切りの羊かんがはいっている)を買い、箱根湯本駅に向かった。

 畑宿からは、須雲川沿いの緩やかな車道を奥湯本まで歩く。湯本橋のたもとにある「はつ花本店」は、、せいろそばと山かけそばが人気である。少しの待ち時間はあったが、美味しい「せいろそば」を頂くことができた。

月うさぎ
月のうさぎ

早雲寺 本堂
早雲寺 本堂

 早雲寺は北条氏綱が伊勢新九郎長氏(法号,早雲)の遺言で,大永元年(1521)に建立したという。後奈良天皇諭旨によって勅願寺となった。しかし天正18年(1590),豊臣秀吉の小田原攻めによる後北条氏の滅亡とともに衰退した。

惣門
惣門

開山堂
開山堂

鐘楼
鐘楼

 北条早雲(初代)は、俗名、伊勢新九郎長氏。戦国時代初期を代表する武将。京都から駿河今川家に身を寄せ伊豆・相模を攻略、戦国時代の幕を開いた。伊豆韮山で没。
 北条氏綱(二代)は、父早雲の遺志を継ぎ武蔵・下総へ進出、小田原北条氏の領国を拡大した。
 北条氏康(三代)は、扇谷上杉を滅ぼし関東の覇権を握る。領国経営にすぐれた手腕を発揮した。
 北条氏政(四代)は、夫人は武田信玄の娘黄梅院。武田信玄の西上を後援、その没後は織田信長と連携して武田勝頼討伐に加担。やがて秀吉に敗れ切腹した。
 北条氏直(五代)は、夫人は徳川家康の娘督姫。下野宇都宮氏を降し後北条氏最大の領国を形成。上野真田昌幸の名胡桃城を奪取して秀吉と対立し敗れる。家康の助命で高野山に流された。

北条五代の墓
2013.11.24 金湯山 早雲寺(北条五代の墓所)


箱根旧街道を下る(元箱根〜箱根湯本)

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