鎌倉歴史散歩(東慶寺・長寿寺・英勝寺)
(北鎌倉~鎌倉)

北鎌倉駅(JR横須賀線)~東慶寺~長寿寺~英勝寺~鎌倉駅(JR横須賀線)
mark東慶寺(とうけいじ)
山門
山門
夏目漱石参禅百年記念碑
夏目漱石参禅百年記念碑

 山号は松岡山、寺号は正式には東慶総持禅寺という。東慶寺開山は八代執権北条時宗の夫人覚山尼、開基は時宗の子貞時、創建は弘安8年(1285)と伝えている。縁切寺法を伝える寺の旧記をうつした延享2年(1745)の「寺例書」によると、寺法の儀は開祖以来夫から逃れたい女性が当山に駆け込みをすれば離縁できると記されてある。明治4年(1871)には縁切りの寺法は廃止となった。

鐘楼
鐘楼
アジサイ
アジサイ

梵鐘
梵鐘
田村俊子記念碑
田村俊子記念碑

 明治初年の廃仏毀釈の混乱で、仏堂・梵鐘などが他所に移動した。「元徳4年(1332)」銘のある梵鐘は、現在静岡児韮山町の本立寺にある。
 鐘楼前に女流作家田村俊子の文学碑が建てられている。

本堂
本堂
本堂裏特別公開
本堂裏特別公開

 東慶寺は天秀尼との関わりから徳川家との関係も深くなり、寛永11年(1634)、千姫(天樹院)が檀那となって仏殿が建立された。天樹院が建立した仏殿は、現在横浜の三渓園(旧東慶寺仏殿)にある。
 毎年、5月下旬から6月上旬にかけて、本堂裏のイワガラミが特別公開される。

本堂裏のイワガラミ
本堂裏のイワガラミ
本堂裏のイワガラミ
本堂裏のイワガラミ

イワガラミ
イワガラミ

 本堂裏の崖下に、約30年前に植えたイワガラミ、長い年月を経て崖一面を覆うほどに成長し、毎年美しい花を咲かせる。

アジサイ
アジサイ
アジサイ
アジサイ

菖蒲畑
菖蒲畑
八重のドクダミ
八重のドクダミ

金仏
金仏
石仏
石仏

イワタバコの群生
イワタバコの群生

 湿った岩崖に咲くイワタバコは紫色の星形の花で、鎌倉の花の名所になっている。

イワタバコ
イワタバコ
イワタバコ
イワタバコ

後醍醐天皇皇女用堂 女王墓
後醍醐天皇皇女 用堂女王墓
イワタバコ
イワタバコ

覚山尼の墓
覚山尼の墓
用堂尼の墓
用堂尼の墓

 覚山尼は堀内殿といわれ、秋田城介安達義景の娘で、弘長元年(1261)に北条時宗と結婚し、貞時を産んでいる。覚山尼は、時宗が弘安7年(1284)、臨終にさきだって出家したとき、一緒に落髪したという。東慶寺は、縁切寺としてよく知られているが、そうした女性救済をはじめたのは、覚山尼とされている。
 5世住持用堂尼は後醍醐天皇の皇女で、弟護良親王の菩提をとむらうために入寺し、このときから松ヶ岡御所と称したと伝える。

天秀尼墓の墓
天秀尼墓の墓
天秀尼墓の墓
天秀尼墓の墓

 20世住持天秀尼は豊臣秀頼の娘で家康の孫千姫を養母とし、慶長20年(1615)の大坂城落城後、家康の命令で入寺した。入寺の際、家康から望みを聞かれ、開山の縁切寺法が断絶しないようにと願い、許されたといわれている。東慶寺の縁切寺法は古くから伝わっていたのであろうが、天秀尼によって再興され、幕府の公認を得て女性の救済を行ったのである。

東慶寺住持の墓所
東慶寺住持の墓所
佐藤禅忠の墓・井上禅定の墓
佐藤禅忠の墓・井上禅定の墓

墓地の竹林
墓地の竹林
前田青邨筆塚
前田青邨筆塚

 墓地には鈴木大拙(仏教学者、思想家)・西田幾多郎(哲学者)・岩波茂雄(岩波書店創立者)ら著名人な文化人の墓が多い。

岩波茂雄の墓
岩波茂雄の墓
西田幾多郎の墓
西田幾多郎の墓

mark長寿寺(ちょうじゅじ)
山門(本堂より)
山門(本堂より)
山門前の亀趺碑
山門前の亀趺碑

 春季(4・5・6月)、秋季(10・11月)の季節限定公開では、境内の拝観ができる。

本堂
本堂

 足利基氏(尊氏の四男)が、初代将軍足利尊氏邸宅跡に尊氏の菩提をとむらうため、建長寺38世古先印元を開山に迎えて建立したと伝えられるが、尊氏開基説もあり、創建年代についてはあきらかでない。寺名は尊氏の法名長寿寺殿(京都では等持院)に由来するという。
 基氏は、10歳で鎌倉公方となり、南朝を抑え、尊氏死後は新田義貞の子新田義興を滅ぼした。

本堂内部
本堂内部
書院
書院

 足利氏の手厚い保護をうけ、五山十刹につぐ関東諸山第1位の寺として栄えた。寺容については定かでないが、七堂伽藍も整っていたと伝える。長寿寺は足利氏菩提寺の1つとして毎年2月鎌倉公方の参詣があった。しかし鎌倉公方の滅亡、室町幕府の衰退とともに寺勢は衰え、江戸時代には建長寺の塔頭的な存在になっていた。現在は建長寺の近末寺院である。

開基像 足利尊氏像
開基像 足利尊氏公
開山像 古先印元像
開山像 古先印元禅師

 開山古先印元禅師(初代住職)は、永仁元年(1294)薩摩に生まれ、8歳で円覚寺桃渓禅師のもとに投ず、33歳で帰国後、当山の御開山となる。

庭園
庭園
小方丈
小方丈

観音堂
観音堂
観音堂
観音堂

 奈良県の古刹忍辱山円成寺より、室町時代に建立された多宝塔を大正時代に改造移築したものである。

木造聖観音立像
木造聖観音立像
仏像
仏像

足利尊氏の墓
足利尊氏の墓

 境内裏山には尊氏の違髪を埋葬したお墓がある。
 足利尊氏は、暦応元年(1338)には光明天皇から念願の征夷大将軍の地位を授かり、室町幕府初代将軍となった。吉野で南朝を開いた後醍醐天皇が崩御すると、尊氏は慰霊のため天龍寺(京都府)を造営した。その後、尊氏は南北朝の紛争などの軍事を高師直に、政務は副将軍の直義に任せていたが、ふたりは次第に対立を深めた。尊氏は和解の方法を探りながらも、高師直側につき、弟直義を追撃することになる。

竹林
竹林
アジサイ
アジサイ

mark英勝寺(えいしょうじ)
巨福呂坂洞門
巨福呂坂洞門
総門
総門

 巨福呂坂切通し(国史跡)は、雪ノ下から山之内へ通じる切通し。現在は峠部に民家があり、通り抜けることができない。
 英勝寺の総門は三葉葵の徳川家の定紋がつく銅版の屋根がある。山号は東光山、開山は玉峯清因、開基は英勝院長誉清春と伝え、現在鎌倉唯一の尼寺である。寺地は太田道灌の邸宅跡といわれ、鎌倉尼五山第1位の太平寺の遺領を引きつぐことから、その名跡をついだ寺と考えられている。

太田道灌邸旧跡の碑
太田道灌邸旧跡の碑
鐘楼(国重要文化財)
鐘楼(国重要文化財)

 英勝院長誉清春は太田道灌から四代あとの太田康資の娘で、徳川家康の側室となったお勝の方である。お勝は家康との間に生まれた女子が早世してしまい、水戸家を創始した家康の11男徳川頼房の養母となった。
 鐘楼は、袴腰つきの入母屋造である。鐘には林羅山の銘がある。

山門(国重要文化財)
山門(国重要文化財)

 お勝の方は家康が死去して出家し、法名英勝院長誉清春を名乗り、寛永13年(1636)に英勝寺を建立し、徳川頼房の娘小良姫を玉峯清因と号して開山とした。以後水戸徳川家の姫が代々住持となり、「水戸様の尼寺」と称せられた。寺領420石は建長寺よりも多く、寺でありながら大名屋敷のようであり、水戸家御殿ともいわれた。

山門
山門
アジサイ
アジサイ

 明治維新後の廃仏毀釈や水戸家の保護を失った打撃は大きく、また、横須賀線の開通に伴い寺地や堂芋の一部も失った。大正12年(1923)の関東大震災で堂字は倒壊したが、その後修復し、現在創建当初の仏殿・鐘楼・詞堂・唐門などの建物が残っている。

仏殿(国重要文化財)
仏殿(国重要文化財)

 寛永13年(1636)に建立されたという仏殿は、宝珠殿と称し禅宗建築の様式を取り入れ重層の5間四方の建物である。堂内中央には、三代将軍徳川家光からの寄進という本尊阿弥陀如来像と脇侍観音菩薩像・勢至菩薩像が安置されている。

十二支「鼠」
十二支「鼠」
十二支「牛」
十二支「牛」

十二支「虎」
十二支「虎」
十二支「兎」
十二支「兎」

 仏殿裳階の蟇股には十二支の彫刻が配されている。

祠堂門(唐門)(国重要文化財)
祠堂門(唐門)(国重要文化財)
祠堂(国重要文化財)
祠堂(国重要文化財)

 祠堂の門である唐門は、桃山様式の一間一戸の平唐門である。
 開基英勝院をまつった霊廟である祠堂があり、金粉がほどこされ、華麗な極彩色の模様などの桃山様式の作風を伝えている。

竹林
竹林
竹林
竹林

 竹林は姫御殿跡である。

書院と茶室
書院と茶室
お茶
お茶

 お茶を頂くことができる。

ビヨウヤナギ(未央柳)
ビヨウヤナギ(未央柳)

ビヨウヤナギ(未央柳)
ビヨウヤナギ(未央柳)

 ビヨウヤナギは中国原産で、初夏に黄色の5枚の花弁のある花を咲かせる。

⇒ 北鎌倉周辺 ウォーキングマップ