鎌倉歴史散歩(小町大路周辺)
(鎌倉)

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鎌倉駅(JR横須賀線)~鶴岡八幡宮~宝戒寺~東勝寺跡~妙隆寺~日蓮辻説法跡~鎌倉駅(JR横須賀線)
mark鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)
 鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮
斎館前の白梅
斎館前の白梅

 源頼朝による鎌倉都市計画の基礎が鶴岡八幡宮若宮大路で、それは平安京の大内裏と朱雀大路になぞらえることができる。本宮(上宮)は、建久2年(1191)、鎌倉の大火で焼失したため、改めて石清水八幡宮を勧請し、大臣山の中腹に社殿を造営した。祭神は応神天皇、比売大神、神功皇后である。このとき若宮(下宮)も再建し、上下両宮の姿が整い、石清水にならって鶴岡八幡宮と称した。

満開の白梅
満開の白梅

末社武内社(国重要文化財)
末社武内社(国重要文化財)
丸山稲荷社(国重要文化財)
丸山稲荷社(国重要文化財)

 末社武内社は、十一代将軍徳川家斉が文政11年(1828)造営した。
 丸山稲荷社は、室町時代の和様で一間社流見世棚造の様式をもち、のちの修理もあるが、関東地方では数少ない中世の神社建築として貴重なものである。

mark宝戒寺(ほうかいじ)
北条執権邸(小町亭)跡
北条執権邸(小町亭)跡
本堂前の柏槙
本堂前の柏槙

 十四代執権北条高時の邸跡に、後醍醐天皇を開基とし、円観恵鎮を開山として、建武2年(1335)、足利尊氏が建てたといわれる。二世の惟賢(普川国師)は足利尊氏の次男ともいわれ、寺領も多くある。

本堂
本堂
本堂
本堂

 本尊は地蔵菩薩像で、貞治4年(1365)三条法印憲円という仏師がつくったことが体内銘によりあきらかである。左手に宝珠、右手に錫杖をもち、鎌倉地方の南北朝期の作風を伝え、子育経読地蔵の名で親しまれている。

聖德太子堂
聖德太子堂
福寿草
福寿草

 江戸時代には、天海僧正が関東における天台宗の本寺として、寺の維持相続を徳川家康に懇願している。参道から境内にかけて9月に咲く白萩は名高い。

德崇大権現堂
德崇大権現堂
梵鐘
梵鐘

mark東勝寺跡(とうしょうじあと)
東勝寺橋
東勝寺橋
滑川
滑川

 小町大路から東の小道にはいると、滑川にかかる東勝寺橋がある。鎌倉時代の武士青砥藤綱が10文落としたとき50文の松明を買ってさがし、銭を大事にしたというのはこの付近だといわれる。

東勝寺跡(国史跡)
東勝寺跡(国史跡)
北条高時腹切りやぐら
北条高時腹切りやぐら

 東勝寺は、三代執権北条泰時が退耕行勇を開山として嘉禎3年(1237)ごろ開いたと伝えられ、元弘3年(1333)5月22日、新田義貞の鎌倉攻めで北条氏一門がここに火を放って870人余が自害したといわれでいる。
 東勝寺跡をさらに登れば、北条高時腹切りやぐらがある。現在でも供養が行われているが、遺骨は釈迦堂ケ谷に葬られた。

祇園山ハイキングコース
祇園山ハイキングコース
高時腹切りやぐら入口
高時腹切りやぐら入口

 高時腹切りやぐら入口から、祇園山を通って八雲神社まで約1.5kmのハイキングが楽しめる。

mark妙隆寺(みょうりゅうじ)
山門
山門
本堂
本堂

 この辺りは、鎌倉幕府の有力御家人千葉氏の子孫千葉胤貞の屋敷跡といわれる。胤貞が千葉の本領に移るにおよんで、至徳2年(1385)、日英上人を開山としてこの寺が建立されたという。二世は日親上人といい、室町時代の日蓮宗の中興の粗として有名な人物である。

鍋かむり日親
鍋かむり日親
寿老人石像
寿老人石像

 日親上人は五代将軍足利義教に「立正治国論」という意見書を提出したがとらえられ、焼けた鍋を頭にかぶせられるという刑(「鍋かむり日親」といわれた)をうけたが、それでも布教につとめたといわれている。

mark日蓮辻説法跡(にちれんつじせつぽうあと)
小町大路
小町大路
日蓮辻説法跡
日蓮辻説法跡

 日蓮上人が鎌倉で辻説法した場所といわれ、腰掛石が石碑の下に残されている。この腰掛石は道の反対側にあったものを、明治時代に鎌倉で高山樗牛に日蓮上人のことを教えたことで知られる田中智学が、現在の場所に移して整備したといわれる。

⇒ 鶴岡八幡宮周辺 ウォーキングマップ

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