観光コース
千歳空港~スカイバス札幌~留寿都村~真狩村~ニセコもともと東京で運行していたスカイバスは、2006年の札幌の運行で、東京以外の都市に初めて進出した。真っ赤なバス。スカイバスは、その赤い色が象徴するように、街を"わくわく"でいっぱいにする可能性をひめたエンタテインメント型クルージング・バス。
札幌駅のステラプレイスの外壁に取り付けられている大きな時計。星の大時計は北海道出身の彫刻家の五十嵐威暢氏のデザインである。
昭和32年頃からミシンを踏み続ける看板娘千鳥踏子(チドリフミコ)さん、札幌の人なら誰でも知っているとか。
童謡「赤い靴」に登場する母親の銅像。外国人宣教師に託してきた幼い娘きみを案じながら開拓に励む銅像である。野口雨情の作詞で有名な童謡「赤い靴」の舞台でもある留寿都村。故あって幼い娘きみを外国人宣教師に託して留寿都村の開拓に挑んだ母親を思う娘の物悲しい姿の銅像である。
留寿都村の開拓は、明治4年に東久世長官の命により、3戸が移住してきたことによりはじまる。その後、明治30年7月1日に虻田村より分離、この場所に真狩村戸長役場が建てられた。当時の真狩村は、現在の留寿都村、ニセコ町、喜茂別町を含む広大な地域である。
「真狩村は「えぞ富士」と呼ばれ親しまれている羊蹄山の南ろくに位置し、農業を基幹産業として発展してきた準農村。主要な作物は、じゃがいも、大根、人参などで、中でも食用ユリ根、花ユリ球根は、全国一の出荷量を誇っている。また、演歌歌手の細川たかしさんの出身地としても良く知られ、村を流れる真狩川河川公園には、熱唱する「細川たかし記念像」が置かれ、観光スポットとして賑わっている。」(※)
「松前藩では、積丹半島沖を女性を乗せた船がとおると、必ず海が荒れるという言い伝えから、その北端神威岩を女人禁制の地とし、元禄4年(1691)に、岬以北の婦女通行禁止の藩命を布告した。この禁令は、安政3年(1856)に箱館奉行配下の梨本弥五郎が妻子を伴い、宗谷に赴任するまでの約160年間続いた。梨本が妻子を伴い岬を通過しようとすると、舟子たちは言い伝えから船を進めようとしなかった。梨本は鉄砲を放ち、「今、君、国を開かんとす、何の神かこれを阻止せん」といい、ついに岬を通過した。神威岩婦女通行解禁の嚆矢である。以後、岬以北の和人定住が急速に進み、余市・小樽地方の人口増が顕著となった。神威岬のある積丹の海の落日は、まさに一幅の絵である。」(※)
小樽運河ふれあいの散歩道は、昭和62年(1987)3月に浅草橋から竜宮橋周辺までの約650mの散歩路。歩道には似顔絵・絵葉書を書いて売る人、アクセサリーや絵画を売る人がいる。
アコースティック・ギタリストの浜田隆史さん(小樽出身)、珍しいコルネットバイオリンを弾く人が目を引く。
小樽運河の営業倉庫数は140棟、港湾荷役労働者は約4000人といわれる。港と運河と石造倉庫はいったいとなって機能し、物資集散地小樽を象徴する光景となった。しかし、本船が埠頭に接岸して荷揚げができるようになると、戦後、運河を使った荷役は大きく衰退した。
白い恋人の名前の由来には、こんな物語がある。あわただしい師走の街に雪がやさしく降りました。スキーを楽しんだ帰り、先代が何気なく言った運命の一言、「白い恋人たちが降ってきたよ。」この言葉がそのままこのお菓子の名前になり、のちの白い恋人が誕生した。
昭和47年(1972)札幌冬季五輪の90m級の会場。ペアリフトで展望ラウンジや屋上展望台に上がると、札幌ドーム、大通公園、JR札幌駅タワーなど札幌市街を一望できる。
その美しさ、品種の多さで、世界中の人々から愛されてきたバラの花。札幌の澄んだ空の下、色とりどりのバラの花が、咲き揃う。札幌市伏見の高台に位置する"ちざきバラ園"は、春には梅が、6月から10月までは辺りを埋めつくすように美しいバラの花が訪れる人を魅了する。
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