駿府城跡
(駿府公園)

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mark駿府城跡(すんぷじょうあと)
駿府城 巽櫓
駿府城 巽櫓

 「静岡市は駿府城整備計画をたて、指図をもとに、3層2重の隅櫓である巽櫓を平成元年(1989)に復元した。駿府城は、外堀・中堀・内堀の三重の堀を持つ輪郭式の平城である。本丸を中心に回字形に本丸・二ノ丸・三ノ丸と順に配置され、中央の本丸の北西角には、五層内部七階の天守閣がありましたが、寛永12年(1635)に焼失した。現在駿府城跡は、三ノ丸跡に県庁・裁判所・税務署・病院・保険所・学校・文化会館・体育館などの公共施設がおかれ、東御門をはいった二ノ丸・本丸跡は、駿府公園として市民の憩いの場になっている。」()

東御門櫓門
東御門櫓門

 東御門は二ノ丸堀に架かる東御門橋、高麗門と櫓門で囲まれる桝形門である。平成8年(1996)に復元された。

駿府城 本丸堀跡
2011.6.18 徳川家康ゆかりの駿府城・浜松城
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徳川家康公像
徳川家康公像
静岡駅北口前 徳川家康公像
静岡駅北口前 徳川家康公像

 「徳川家康は、天正13年(1585)松平家忠に駿府城の築城を命じ、翌年浜松城から移り、1589年に完成させた。しかし、翌年江戸へ転封となり、かわって、豊臣秀吉配下の中村一氏が、駿河1国14万5000石をあたえられて城主となった。その後、江戸幕府を開いた家康は、慶長10年(1605)将軍職を二代将軍徳川秀忠にゆずり、駿府を大御所政治の中心に位置づけ、1607年2月から天下普請として諸大名を動員し、駿府城の大改修工事を行った。天下人として駿府城から全国を動かした家康は、外交をはじめキリスト教の禁教、大坂の陣による豊臣氏の滅亡、「武家諸法度」の制定など、幕府権力を確立することにつとめた。」()

徳川家康公像前
徳川家康公像前
家康公お手植のミカン
家康公お手植のミカン

 「徳川家康公像の横にある家康公お手植のミカンは、家康公が将軍職を退いて駿府城に隠居のおり、紀州より献上された鉢植えのミカンを天守閣下の本丸に移植したものと伝えらている。このミカンは当地の方言でホンミカンといわれており、鎌倉時代に中国から入った紀州ミカン(コミカン)の一種で、香りの強い、種のある小形の実を結ぶ。静岡地方のミカンの起源を知るうえで貴重なものである。」()

駿府公園(本丸跡)
駿府公園(本丸跡)

 「本丸堀は駿府城の三重堀の一番内側の堀で本丸を囲んでいる。幅約23~30mで深さは江戸時代には約5mあった。石垣は荒割りした石を積み上げ、隙間に小さな石を詰めていく「打ち込みはぎ」と呼ばれる積み方である。角の部分は「算木積み」という積み方で横長の石を互いに積んで崩れにくくしている。発掘調査により再び姿をあらわした本丸堀は、江戸時代の雰囲気が感じられる貴重な遺構である。」()

紅葉山庭園
紅葉山庭園
二ノ丸水路
二ノ丸水路

 紅葉山庭園は、城郭の大名庭園のような遊びと楽しさを基調として創られた庭園。駿河の国の名勝を織り込んだ4つの庭を中心に、四季折々の風情を楽しむことができる。
 二ノ丸水路は本丸堀と二ノ丸堀をつなぐ水路で、本丸堀からの水を外へ流す目的で築かれている。幅は約4.5m、江戸時代の深さは約4m、長さは約95mあり、4回折れ曲がっている。

北御門跡
北御門跡
弥次喜多像
弥次喜多像

 「北御門跡は、二ノ丸へ入る北側の出入口である。二ノ丸堀を木橋で渡って、高麗門を通り石垣に囲まれた桝形風の広場を経て二ノ丸内へ至る。二ノ丸へ入るとすぐ西側には馬場先御門があった。北御門と馬場先御門を合わせて一つの門構造とする考え方もある。
 十返舎一九の「東海道中膝栗毛」物語は、江戸神田の八丁堀に住む府中生まれの弥次郎兵衛(左の像)と、元役者で江尻(現清水市)出身の喜多八(右の像)という無邪気でひょうきんな主人公ふたりが、江戸を出発して東海道を西へ向かい、伊勢を経て京都・大坂へと滑稽な旅を続ける道中話で、今でも弥次喜多道中と言えば楽しい旅の代名詞となっている。十返舎一九は駿河国出身。下級武士の家に生まれたという。江戸の版元蔦谷重三郎のもとで年20作ほど量産し挿絵も描いた。発売当初から大評判で続編も書かれた。
」()

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