世界遺産 石見銀山
(大森の町並み)

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石室山羅漢寺
石室山羅漢寺

 昔銀山で働いて亡くなった人々の霊や我々の祖先の霊を供養するためにと、地元の人々、大森代官所の役人、当時の代官、八代将軍徳川吉宗の次男田安中納言宗武卿の援助で、田安家奥御殿の女中など多くの人々の寄進により、明和3年(1766)3月、25年もかけて完成した。 また、これに併せて五百羅漢を護るために石室山羅漢寺を建立し、御本尊阿弥陀如来、不動明王、愛染明王、過去・現在・未来の三世の悪因を断除される降三世明王、国家平安と衆生擁護を司どる大元帥明王(秘仏)を安置している。

入口
入口
本堂
本堂
不動堂
不動堂
千体地蔵
千体地蔵

右窟(石造五百羅漢坐像群)
右窟(石造五百羅漢坐像群)
国史跡

 川を挟んで寺の正面に崖を掘ってつくられた石窟が3つある。中央窟には石造釈迦三尊像が、左窟には251体、右窟には250体の石造羅漢像が安置されている。五百羅漢の彫像は寛保年間(1741〜44)頃、大森代官所同心中場定政の発願によって始められ、現在の温泉津町福光の石工坪内平七とその一門が約20年の歳月をかけて完成させた。

中央窟
中央窟
石造釈迦三尊像
石造釈迦三尊像

石造釈迦如来像
石造釈迦如来像

大宝篋印塔
大宝篋印塔
国史跡

 中央窟には石造釈迦三尊像が安置されている。
 大宝篋印塔は、五百羅漢建立された田安中納言宗武卿(八代将軍徳川吉宗の次男)の菩提を供養するために、夫人とその子田安斉臣卿が明和8年(1771)に建立したものである。

反り橋
反り橋
国史跡

 石窟の前を流れる銀山川の支流に架かる三つの反り橋は、石を組み合わせて造ったもので、当時のまま現在に至っている。

世界遺産 石見銀山(町並み地区)
2012.7.28 世界遺産 石見銀山(町並み地区) youtube

 城上神社北側の桜橋から蔵泉寺口番所跡までを大森地区という。この地区は近世以降の町で、二代銀山奉行竹村丹後守道清が代官所を山吹城のあった要害山の麓から現在地に移転し、銀山地区と区分して政治・経済の町にしようとしたことから始まる。

御前そば
御前そば
大森地区から銀山地区への道
大森地区から銀山地区への道
松田屋
松田屋
金森家
金森家

 18世紀の中頃には、大森には六軒の郷宿が設けられ、公用で出かける村役人等の指定宿として、また代官所から村方への法令伝達等の御用を請け負っていた。

栄泉寺
栄泉寺
栄泉寺本堂
栄泉寺本堂

 現在の本堂は文化4年(1807)に再建されたものである。石段の上に見える山門は、「竜宮門」と呼ばれ、嘉永6年(1853)に画僧であった仏乗禅師が再建したものである。日光の家光廟大猷院の皇嘉門に姿が似ているため、当時の代官から取り壊しの命令が出されたが、住職留守を理由にして庭や板で囲い、幕末の混乱に紛れて取り壊されずにすんだとと伝えられる。

大森地区 町並み
大森地区 町並み
世界遺産
カフェ・カリアーリ
カフェ・カリアーリ
カフェ・カリアーリ店内
カフェ・カリアーリ店内

 カフェ・カリアーリとは、1909年、アムブロジオ・カリアーリにより北イタリアで生まれた老舗コーヒースターである。カリアーリ家の「最高級豆」「焙煎方法」「ブレンドレシピ」は多くの美食家に愛され続けており、EU統合記念レストランや国連のイベント(S.O.S IRAQ)にも選ばれている。当家がカリアーリ家の日本の窓口となっており、ここから全国に送られている。

三宅家
三宅家
鶴の石
鶴の石

 三宅家の建物は、代官所の銀山方役所に勤務する銀山附地役人田邊氏の居宅であった。田邊氏の初代彦右衛門は甲斐国(山梨県)出身で、慶長6年(1601)に初代奉行大久保石見守に銀山附地役人として召抱えられている。寛政12年(1800)の大火以降の建築と思われるが、通りに面して門塀や露路門を構えて前庭を配置し、大戸口の上手に式台を設けるなど武家屋敷としての形態を保っている。

右側が旧河島家
右側が旧河島家
旧河島家
旧河島家

 建物は、代官所の銀山方役所に勤務する銀山附地役人河島氏の居宅であった。初代三郎右衛門は安芸国(広島県)出身で、慶長15年(1610)初代奉行大久保石見守に銀山附地役人として召抱えられて、子孫は代々銀山の支配に携わった。建物は寛政12年(1800)の大火以降の建築であるが、主屋を敷地奥に建て、通りに面して土塀を廻らせ前庭を設け、大戸口の右手に式台を設けるなど、武家の住まいの基本形をよく残している。

観世音寺
観世音寺
旧大森区裁判所
旧大森区裁判所

 岩山の上にあり、江戸時代には大森代官所が銀山隆盛を祈願するための祈願所でした。本堂のほか山門と鐘楼が残されている。町並みの大半が焼失した寛政の大火(寛政12年)により、観世音寺も全ての建物が焼失した。そのためもとの創建年は不詳だが、現在の本堂や山門は万延元年(1860)に再建されたものである。宝暦年間(1751〜1763)にこの 観世音寺の住職であった月海浄印は、銀山で亡くなった人々の供養のため、五百羅漢を造営するとともに羅漢寺を建立し、自ら住職となった。
 大森区裁判所は明治23年(1890)に開所し、昭和20年代初めまで機能していた。建物は、当時の大森町民が建築に要する資材、土地などを提供して建てられたが、擬洋風で当初の姿をよく残している。

石見銀山資料館
石見銀山資料館
青山家
青山家

 代官所表門をくぐると石見銀山資料館である。この資料館は、明治35年(1902)に建造された旧邇摩郡役所を利用しており、鉱山資料・奉行代官資料・町方資料を収集・展示し、鉱石展示室もある。
 18世紀中頃には大森には6軒の郷宿が設けられ、公用で出かけてくる村役人等の組ごとの指定宿として、また代官所から村方への法令伝達等の御用を請け負った。建物は、切妻造りの桟瓦葺で、町並みのなかでは珍しい妻入りである。特に土間まわりと帳場、表座敷は旧態が保たれ、屋根裏の梁組は郷宿の風格をとどめている。

大森代官所跡
大森代官所跡
国史跡

 大森代官所跡バス停のすぐ西側にある。銀山川の向かいにみえるどっしりとした白壁が、この地区の象徴ともいうべき、文化12年(1815)建造の代官所表門と門長屋である。格式を漂わせる太い門柱があり、門長屋の漆喰壁と格子の対比も美しい。

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