松前さくらまつり
(松前城・松前神社・光善寺)
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二の門
松前城跡(福山城跡)
(国史跡)

 松前城は和式建築最後の城郭で、蝦夷地南部を領有する松前藩の居城である。松前氏は城をもたない大名であったが、幕末に北方警備を目的に築城が許可された。旧福山館を長沼流兵学者・市川一学が縄張し、海防のために砲台を築き、三重天守を建てている。戊辰戦争では旧幕府軍の攻撃により落城、明治以降廃城となった。

二の門
二の門
桜前線本道上陸木(ソメイヨシノ)
桜前線本道上陸木(ソメイヨシノ)
鎌倉翁の顕彰碑
鎌倉翁の顕彰碑
青木郭公の顕彰碑
桜青木郭公の顕彰碑

 松前桜の育ての親、鎌倉翁の顕彰碑。鎌倉翁は大正10年(1921)頃より約50年間松前の桜を育て、多くの品種を造りあげた方である。
 北海道暁雲社の主宰で大正年間より昭和初期にかけて、活躍した本道俳句の代表的先生で、「高潮や城門を吹く花の雲」と刻まれている。

本丸御門
本丸御門
(国重要文化財)

 現存の本丸御門は、切妻造・銅板葺き・三間一戸両脇戸付き櫓門で、南に面し、東方の天守閣との間に塀が取りつけられている。本丸御門をでて右には、越後村上藩内藤家の家臣で、のちに水戸藩漢学者の家僕となって学をおさめ、19世紀初めに来松した長尾山樵の「松前城下之作」と題する七言絶句の詩碑が建立されている。

満開の桜
満開の桜

満開の桜
満開の桜

満開の桜
満開の桜

満開の桜
満開の桜

満開の桜
満開の桜

松前城天守
松前城天守

 実質的な天守ではあったが、天守と記載された記録や図は存在せず、すべて「御三階櫓」と書かれている。御三階櫓は、本丸南東隅に位置し、約2.5mの低石垣を築き、その上に建てられていた。
 三重三階の規模で、一階は石垣天端から約1mもの犬走状の空白地を残し、約13.6×11.8m、二階は約10.9 x 9.1m、三階が約8.2×6.4mと規則的に逓減する層塔型天守で、高さは約16.5mと宇和島城天守をわずかに上回っていた。内部一、二階は中央に身舎を置いて周囲に人側を、三階は人側のない一室であった。最上階の入母屋造の屋根を除けば、装飾としての破風はなく、各階の窓上下に設けられた長押形が唯一の飾りであった。また、軒裏は何も塗らない素木のままで(総銅板包みとの記録もあり、現在の天守の軒裏は総銅板包みになっている)、窓は縦約130×横80cmの長方形の竪格子窓で各階の平側に四つ(一階城内側のみ入口があるため三面)、妻側二つずつ造られた。屋根は、北海道の寒暖による気温差と雪の重さという気候風土を考慮して軽くして丈夫な銅板茸とした。

本丸御門と天守
2014.5.3 松前さくらまつり(松前公園)youtube
本丸表御殿玄関
本丸表御殿玄関
松前神社
松前神社

 本丸表御殿玄関、屋根の唐破風の曲線などに、桃山時代の特徴があらわれている。
 城跡のすぐ北側には、松前氏始祖の武田信広をまつる松前神社が至る。明治5年(1872)、松前家が寺町の一角に松世祠を設けて、代々の霊をまつったのがはじまりで、明治14年(1881)に当地に移り、現名と三った。周辺は、城内の馬場や鷹部屋があったところである。また、城内神事として伝承されてきた松前神楽(道民俗)が同社に伝承・保存され、毎年8月の例祭で奉納される。

龍雲院 惣門
龍雲院 惣門
(国重要文化財)
龍雲院 本堂
龍雲院 本堂
(国重要文化財)

 惣門は嘉永4年(1851)の建造で、入母屋屋根の四脚門、扉口脇壁に青海波の紋様、唐戸板には紗線形の地紋彫りなどがほどこされ、唐戸の雲竜装飾もみごとである。惣門に掲げられている「曹洞宗龍雲院」の扁額は、松前出身の書家で、文化勲章を受章した金子鴎享の筆になる。
 華遊山龍雲院(曹洞宗)は、松前藩2代藩主松前公広の正室桂子が、早世した長子兼広の菩提をとむらい、また2子氏広(3代藩主)の栄達を祈願するために発願し、寛永2年(1625)に創建された。桂子は、京都の公家大炊御門資賢の娘で、松前家が京都の公家からはじめて娶った女性である。寺町のなかで箱館戦争の戦禍を免れた唯一の寺院である。

龍雲院 蝦夷霞桜
龍雲院 蝦夷霞桜
光善寺 仁王門
光善寺 仁王門

 龍雲院境内にある蝦夷霞桜は、植物分類学者で元北海道大学教授の館脇操博士が、特にこの古木に「エゾカスミザクラ」と命名したものである。
 仁王門は、棟札によると、宝暦10年(1760)に上棟されている。虹梁や木鼻に、雲華紋が陽刻されている。

光善寺 本堂
光善寺 本堂

雲華紋
雲華紋

 高徳山光善寺(浄土宗)は、寺伝では、天文2年(1533)の創建とするが、『福山秘府』では、天正3年(1575)創建とされ、はっきりとしない。はじめ高山寺と号し、慶長7年(1602)に光善寺と改めた。京都百万遍知恩寺(浄土宗)の末寺である。

光善寺 サクラの名木「血脈桜」
光善寺 サクラの名木「血脈桜」

 血脈(亡くなられた人が仏になれるようにお坊さんが与える書付)を授けられたことにまつわる伝説が残っている。

松前藩屋敷
松前藩屋敷

  沖の口奉行所は、松前藩の蝦夷地へ出入りする船改め、積荷、出入人を改め、税役を徴収する役所で、奉行、吟味役、吟味下役、小使、足軽、手代等の役人が配置されていた。

沖の口奉行所
沖の口奉行所

商家
商家

 松前の商家の多くは、近江商人や北陸地方出身の商人が多く、これらの人たちの出身地の商品を販売した。

松前さくらまつり
(松前城・松前神社・光善寺・松前藩屋敷)

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