姫路城(西の丸)

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鳥瞰図
鳥瞰図
西の丸の南門跡
西の丸の南門跡

 西の丸の南門跡は、高麗門で坂道の真ん中に約40cmの正方形の礎石が残る。

西の丸
西の丸

 西の丸も西側から北側にかけて長大な多門櫓(別名は百聞廊下で、一部を除き現存)が囲っているが、そのうちの北側の多門櫓(カの渡櫓・ヨの渡櫓)は内部を御殿女中の住まいとする長局であった。そしてその東端には、一段高く化粧櫓が奪える。化粧櫓の内部は眺めの良い座敷である。豊臣秀頼の元夫人で、豊臣滅亡後に本多忠刻に嫁いだ千姫がこの化粧櫓を使ったと伝えられるが、日常をここで過ごしたわけではなく、時折訪れたに過ぎない。元和3年(1617)に池田氏に代わって姫路城主となった本多忠政は、子の忠刻と再婚した千姫とが住まうたに姫路城の西の丸を大がかりに改修し、そこに西の丸御殿を設けた。西の丸は、本丸よりはるかに広く、郭内に多くの御殿殿舎が建てられ、忠刻と千姫が新婚生活を送ったが、寛永3年(1626)に忠刻が没して千姫は江戸へ帰ってしまった。さの後も西の丸御殿には玄関・広間・台所などが残されていたが、18世紀までには御殿としての機能を失っていた。

西の丸からの天守群
西の丸からの天守群(国宝)

 姫路城の築城の歴史は鎌倉時代にさかのぼり、元弘元年(1331)赤絵則村(円心)が、北条氏追討の兵をあげて東上の途中、砦を築いたのにはじまり、戦国時代にはいって羽柴秀吉が3層の天守閣の城を築き、江戸時代に城主になった池田輝政が、慶長6年(1601)から8年の歳月をかけて、秀吉の築いた城を取りこわして大修築を行った。
 5層7階の大天守閣は31.8mあり、石垣まで含めると46mの高さになる。白漆喰を塗り込めた外壁が輝き、唐破風・千鳥破風の屋根がいく重にも重なる荘厳な姿は・シラサギが羽を広げてとびたっ姿に似ていることから白鷺城ともよばれ、天下の名城の誉れが高い。

ワの櫓
ワの櫓(国重要文化財)

 西の丸南西を固める二重櫓で、カの櫓が榎下門、ワの櫓は鷺山口門を頭上から守っていた。ともに隅角に石落を配し、狭間が多数設けられたいた。カの櫓とワの櫓の櫓間は土塀、ワの櫓北方に百間廊下(多聞櫓)が接続していた。

ルの櫓と長局(百間廊下)
ルの櫓と長局(百間廊下)(国重要文化財)

 西の丸にあった御殿は消滅したが、ルの櫓と化粧櫓間にある長局(百間廊下)は現存している。

ヌの櫓
ヌの櫓(国重要文化財)

 ルの櫓と化粧櫓間にあるヌの櫓は、両側にカの渡櫓とヨの渡櫓がつながっている。

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