山内一豊の高知城

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山内一豊像
山内一豊像
追手門
追手門
(国重要文化財)
 土佐藩初代藩主の山内一豊の銅像は、平成8年(1996)9月20日の一豊の命日に再建除幕式が行われた。本体はブロンズ鋳造青銅色仕上げ、高さ4.32m、重さ3.6tで、当初の原型は宿毛市出身の彫刻家本山白雲作である。
 追手門は、入母屋造二階建、本瓦葺で棟の両端に魔除けの鯱が載っている。東(右)と西(左)の石垣の上に南向きに配置され、二階への入口は東西2か所にある。一階の内開き大扉はケヤキ材で筋金を張っている。
高知城跡
高知城跡
(国史跡)
杉の段からの天守
杉の段からの天守
 高知城は慶長6年(1601)、土佐に入国した山内一豊は築城総奉行に百々安行を任命し、城の視察には影武者数人を同行させ工事を急いだ。浦戸城から石材を運び、周辺諸村から木材を切り出し、瓦は職人とともに大坂から集められた。慶長16年(1611)に完成した高知城だったが、享保12年(1727)に城下の大火で追手門を除くほとんどの建物が焼失した。現在の高知城は宝暦3年(1753)に再建されたもので、現在15棟の建造物が国重要文化財に指定されている。
山内一豊の妻像
山内一豊の妻像
北から見た天守
北から見た天守
(国重要文化財)
 山内一豊の妻は弘治3年(1557)生まれ。通称千代といわれているが、これを裏づけるたしかな資料はない。出身については通説では近江国(滋賀県)浅井氏の家臣若宮友興の娘とされているが、近年では美濃国(岐阜県)八幡城主遠藤氏の娘ともいわれている。
三の丸の石垣
三の丸の石垣
鉄門跡
鉄門跡
 石垣工事中に発見された高知城築城以前の長宗我部時代の古い石垣が、三の丸広場で見学できる。三の丸の野面積石垣は垂直方に美しい反りが見られ、雨の多い高知城での排水を考慮した石積である。
 三の丸の石垣に沿って坂道と石段をあがると狭い枡形に入る。そこには切石加工の石垣で囲まれた、入母屋造り二階建、本瓦葺の門があった。三の丸、二の丸に入るための鉄板張の重要な門であった。
詰門
詰門
(国重要文化財)
二の丸
二の丸
 詰門は本丸と二の丸石垣の間に建てられた建造物で、二階部分は本丸と二の丸を結ぶ渡廊下になっている。一階は鉤型の偽造通路と門になり、本丸に向かう敵を欺く建造物の仕掛けとなっている。
廊下門
廊下門
(国重要文化財)
東多聞櫓
東多聞櫓
(国重要文化財)
 詰門の渡廊下を進むと一段高い廊下門があり、東多聞櫓の建物に接続する。廊下門から本丸へは高低差を利用した守りで、本丸への最後の防御を担った門となる。門から侵入した敵は本丸の一段高い位置からの攻撃を受ける。
 東多聞櫓は天守と廊下門の間に建ち、石垣側を土佐漆喰仕上げ、本丸側を黒の下見板張仕上げとする。内部は3室に分かれ、廊下門二階に至る通路や武具の倉庫として使用され、東面に狭間、格子窓、石落を設ける。
天守と本丸御殿
天守と本丸御殿
NHK大河ドラマの「功名が辻」
NHK大河ドラマの「功名が辻」
使用した千代姫の着物
使用した千代姫の着物
納戸蔵 欄間(水に蓮根)
納戸蔵
(国重要文化財)
欄間(水に蓮根)
欄間(梅丸彫)
欄間(梅丸彫)
 納戸蔵の外壁は土佐漆喰塗の大壁造(柱を外部に見せない壁)平屋の蔵風な建造物。本丸御殿西側に接続し、対面の場に使用する家具調度品を保管した。内部は3室で床は畳敷、天井は張らずに化粧垂木仕上げとする。
 水に蓮根の彫刻は武市高明の作。武市高明(通称甚七)は竹籠細工を業としながら、彫刻に長じ"土佐の左甚五郎"と称せられた。
 梅丸彫の彫刻は島村三四郎作。武市甚七以降の名匠といわれ、土佐藩の初御扶持人大工に召し抱えられるなど、小細工彫刻に優れた。高知城内の欄間・板扉等の彫刻・美良布神社(香北町美良布)の建築、さらには、嘉永年間に建立された潮江天満宮(高知市)の楼門の鳳凰翔舞の彫刻などが代表作にあたる。
江戸時代に使用した駕篭
江戸時代に使用した駕篭
土佐山内氏の家紋(土佐柏)
土佐山内氏の家紋(土佐柏)
三の間の奥に二の間
三の間の奥に二の間
本丸御殿 上段の間
本丸御殿 上段の間
(国重要文化財)
武者隠の間
武者隠の間
物見窓
物見窓
 物見窓は鉄砲狭間から覗いているだけでは、敵全体の動向を把握するのは難しく、土壁上面寄りに一間隔で横長に、横連子の武者窓を設けている。本丸東南面の物見を一手に引き受けていた軍学上で重要な窓で、高知城にのみ残っている。
天守からの眺め(西多聞櫓)
天守からの眺め(西多聞櫓)
(国重要文化財)
 廊下門の西側に配置された西多聞櫓は、外壁は土佐漆喰仕上げに格子窓がつき、内部は座敷で本丸番所としての機能があった。下部石垣は石樋(石製管)を設けた高さのある自然石の野面積石垣である。
天守からの眺め(東方面)
天守からの眺め(東方面)
天守からの眺め(二の丸方面)
天守からの眺め(二の丸方面)
黒鉄門
黒鉄門
(国重要文化財)
東南矢狭間塀
東南矢狭間塀
(国重要文化財)
 黒鉄門は本丸西の隅部分に配置される入母屋造二階建、本瓦葦の門。外壁は縦板張で、一階と二階の間に猿頭(断面が五角形で屋根を押さえる材)つきの木造庇をつける。門部分の柱、扉、土台に筋金が張りつけられている。
 高知城の現存建造物には矢狭間塀が付属する。天守南東隅から懐徳館前の庭を囲み、南隅板廊下から納戸蔵南角をつなぐ矢狭間塀である。土佐漆喰塗の外壁に1間おきに丸、三角、四角の狭間を配置する。
板垣退助像
板垣退助像
追手門からの天守
追手門からの天守
 慶応3年(1867)には薩摩の西郷隆盛らと討幕を密約。翌年の戊辰戦争に際しては,東征大総督有栖川宮熾仁親王の下で東山道先鋒総督府参謀、土佐藩迅衝大隊司令として従軍。甲府(現、山梨県)攻めの際に、乾家の遠祖である武田氏家臣板垣駿河守信形にちなんで板垣と改 姓し、人心を収収攬。板垣の下に結集した甲斐の人びとは断金隊を結成して、以降、新政府軍に加わった。
高知城(国史跡)
2016.1.1 高知城(国史跡)
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