弘前城跡
(三の丸東門・三の丸・本丸天守)

大館能代空港~白神十二湖(鶏頭場の池・青池)~桜林公園(アソベの森 いわき荘)
岩木山総合公園~岩木山神社~弘前公園~弘前駅(JR奥羽本線)
りんごの風の銅像(弘前駅前)
りんごの風の銅像(弘前駅前)
津軽為信の銅像(文化センター前)
津軽為信の銅像(文化センター前)

 津軽地方の兢一を成し遂げた大浦為信、後の津軽為信(弘前藩初代藩主)は天正18年(1590)、豊臣秀吉から、津軽の所領を認めるという朱印状を受けている。名字を津軽と改めた。
 慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いでは2000余りの兵を率いて徳川家康の東軍として参戦。美濃大垣城攻めに参加している。その功績によって、所領を保証されただけでなく加増を受けたこの後、為信は弘前藩を立藩。慶長8年(1603)には現在の弘前にあたる高岡の地に、新城の築城を決めた。

三の丸東門(国重要文化財)
三の丸東門(国重要文化財)
三の丸東門
三の丸東門

 弘前城(津軽氏城跡)は、東に土淵川、西に岩木川が流れ、西から南にかけては急崖、束はゆるやかな傾斜の細長い洪積台地上にある、3重の堀をめぐらす平山城である。東西約800m、南北約1km、面積約48万㎡の広大な地域を占める。

弘前公園の遅咲き桜
2017.5.5 弘前公園の遅咲き桜
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 さくらまつりのサクラは明治15年(1882)に旧弘前藩士の菊池楯衛が、自費で城内に1000本植えたのが始まりである。大正7年(1918)「観桜会」と名づけられたのが最初の花見で、以後毎年開催されてきた。弘前さくらまつりは、来年(2018年)には100周年を迎える。

東錦桜
東錦桜
鬱金(ウコン)桜
鬱金(ウコン)桜

 ピクニック広場(三の丸)では鬱金(ウコン)・関山・東錦の遅咲き桜が見頃である。

丑寅櫓(国重要文化財)
丑寅櫓(国重要文化財)
二の丸
二の丸

 津軽為信がこの地に築城を計画したといわれているが、本格的な築城は、慶長15年(1610)の二代藩主信枚からで、本丸の石垣に使用した石は 近くの山や、大光寺・浅瀬石などの古城館から運んだ。天守や隅櫓の建造に使用した鉄は 外ヶ浜の小国・蟹田方面で製鉄し、材木は碇ヶ関から平川へ流して運んだという。翌慶長16年(1611)にほぼ完成した。

鷹丘橋
鷹丘橋
鷹丘橋
鷹丘橋

 廃藩置県によって、弘前城は当初兵部省、のち陸軍省の管理となったが、城内の破却は本丸御殿や武芸所などに限られ、天守・城門・櫓は残された。明治27年(1984)弘前市に貸与され、翌年5月から公園として開放された。

弘前城跡
弘前城跡(国史跡)

 天守(史料館として公開)が本丸の東南隅に聾えている。3重3階の独立天守で、破風や懸魚を白漆喰塗とした切妻屋根をもつ張出を、二の丸側の束と南2両の1・2階に設けているが、本丸側の北と西面は質素な造りになっている。

天守
天守(国重要文化財)
岩木山の眺望
岩木山の眺望

 天守は、初め本丸南西隅に5階建てのものが造営されだが、寛永4年(1627)落雷によって焼失した。その後、再建されず櫓で代用してきたが、九代藩主寧親のとき、蝦夷地警備の功によって、7万石、10万石と石高が昇格したのを契機に、文化7年(1810)に隅櫓を改造する形で新築された。これが現在の天守で 東北地方に残る唯一の遺構である。

下乗橋
下乗橋
弘前城石垣修理
弘前城石垣修理

 弘前城本丸石垣の修理事業は、平成25年(2013)から行われている。

ソメイヨシノ(弘前市古木名木)
ソメイヨシノ(弘前市古木名木)
二の丸東門
二の丸東門(国重要文化財)

 ソメイヨシノは、旧藩士の菊池楯衛から明治15年(1882)に寄贈され、現存するソメイヨシノでは日本最古である。
 二の丸東門は二の丸東側の枡形に位置し、三の丸東門から向かって一直線上に建つ。門を潜って二の丸に入ると、与力番所があり、左方には天守が望める。