扇形の出島を再現 出島和商蘭商館跡

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 整備復元は、平成10年(1998)から本格化した。計画は2010年完成をめざす短中期計画と、最終的に19世紀初めの扇形の出島を復元する長期計画の2本立てである。短中期計画は、出島の西北側に19世紀前半当時の建物25棟を復元するものである。現在までのところ、二番蔵・一番蔵・一番船船頭部屋・へトル部屋・料理部屋の5棟が復元されており、当時の内部の様子なごが観覧できる。

ミニ出島
ミニ出島
表門
表門

 オランダ貿易は、元禄時代(1688〜1704)までが全盛期で、それ以降は制限されてしだいに衰退していった。しかし出島は別の面で重要であった。日本は、ヨーロッパとの唯一の窓口である出島をとおして、ヨーロッパの近代的な学問・先端技術などを取り入れた。オランダ商館が掟出する『和蘭風説書』は、ヨーロッパをはじめとする世界情勢を知る、ほとんど唯一のものであった。風説書はオランダ通詞によって日本語に翻訳され、長崎奉行から幕府に提出された。

一番船船頭部屋
一番船船頭部屋(国史跡)
出島シアター
出島シアター

 もともと出島は、市内に分散居住していたポルトガル人を収容するために、出島町人25人に命じてつくらせた人工の築島である。長い岬の先端に形成された、弧状の砂洲を利用して扇形につくったものらしい。寛永11年(1634)着工し、2年後の1636年完成した。その規模は東西210m・南北60m、面積1万3000m2で東京ドームのグラウンドとほぼ同じである。
 寛永14年(1637)におこった島原の乱を契機に、寛永16年(1639)にはポルトガル船の来航が禁止され、出島からもポルトガル人が追放された。貿易の利益をなくした出島町人や糸割符商人は、幕府に対して平戸和蘭商館の移転を強く希望した。幕府は寛永18年(1641)平戸和蘭商館を移転し、西欧との窓を出島ただ1カ所としたのである。

扇形の出島を再現する出島和商蘭商館跡

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