かもめの休息地・水前寺成趣園

トップ/旅行あれこれ/熊本県
九州一周
・羽田空港〜長崎空港〜ハウステンボス〜西海橋〜長崎
・長崎〜オランダ坂〜孔子廟〜グラバー園〜出島和蘭商館跡〜眼鏡橋〜雲仙地獄〜熊本島原フェリー〜熊本
・熊本〜熊本城〜水前寺公園〜仙厳園(磯庭園)〜指宿
・指宿〜開聞岳・池田湖〜知覧の武家屋敷庭園〜特攻平和観音堂〜桜島〜宮崎
・宮崎〜宮崎神宮・平和台公園〜高千穂峡〜神角寺〜久住高原
・久住高原〜阿蘇山(仙酔峡)〜阿蘇神社〜大観峰〜福岡
・福岡〜櫛田神社〜筥崎宮〜東公園〜中洲〜福岡
・福岡〜福岡空港〜帰路の飛行機〜羽田空港

 「湧くからに流るゝからに春の水」という夏目漱石の句で知られる水前寺成趣園は、水前寺公園電停から北東へ200mほど行った所にある。

出水神社
出水神社
神水「長寿の水」
神水「長寿の水」

 池の北岸には出水神社がある。明治11年(1878)、西南戦争(1877年)で荒廃した熊本城下の復興を願い創建され、細川藤孝から護久までの歴代藩主と明智光秀の2女で忠興の妻ガラシャ夫人玉子を奉祀している。境内には、朝鮮の漠城城門の柱の礎石であったという「袈裟紋」銘が残る石造水盤がある。

肥後熊本藩初代藩主 細川忠利像
肥後熊本藩初代藩主細川 忠利像
湧水池
湧水池

 細川ガラシャ(名を玉という)は、天正14年(1586)に宮津で3男の忠利を生む。慶長5年(1600)細川忠興は徳川家康への忠誠の証として、忠利を江戸へ人質に送った。その後、嫡男の忠隆が廃嫡されると忠利が細川家の家督を継ぎ、次男の興秋は出奔した。忠利は肥後熊本藩初代藩主である。

入口
入口

桂離宮から移築した茶室「古今伝授の間」
桂離宮から移築した茶室「古今伝授の間」

 池畔には細川幽斎(藤孝)が後陽成天皇の弟八条宮(桂宮)智仁親王に『古今和歌集』の奥義を伝授したという古今伝授の間がある。建物は、京都御所内に建てられた智仁親王の書院兼茶室で、桂宮家では山城国開田村の長岡天満宮(京都府長岡京市)境内に移し「長岡茶屋」とよんでいたが、明治4年(1871)細川家に贈られた。細川家は解体・保存していたが、大正元年(1912)に現在地に移築・復元した。桃山時代の数寄屋造で、内部の杉戸の「雲龍」は現在ほぼ消滅しているが狩野永徳の筆、襖絵の「竹林七賢」は海北友松筆といわれる。
 池の水面には沢山のかもめが休んでいて、時々飛び交う珍しい光景(以前訪れた時にはかもめはいなかった!?)が見られた。お店の方にかもめの話しを訪ねてみたら、「ここ数年前から、かもめの大群が飛来する様になり、毎日朝方にやって来て夕方には戻って行きます。ただ、見た目は綺麗だが池の中に糞を残していくので困りますね・・・」の言葉が聞けました。

かもめが飛び交う水前寺成趣園
かもめが飛び交う水前寺成趣園
国名勝)(国史跡

 「湧くからに流るゝからに春の水」という夏目漱石の句で知られる水前寺成趣園(国名勝)(国史跡)は、水前寺公園電停から北東へ200mほど行った所にある。
 寛永9年(1632)、肥後に入国した細川忠利が当地に水前寺を創建したが廃寺となり、旧境内地に御茶屋を造営したのが庭園の始まりという。細川家代々の別邸とされ、寛文11年(1671)、細川綱利のときに現在と同規模の桃山式回遊庭園が完成し、成趣園と命名された。
 庭園中央部に横たわる池を海に見立て、東海道五十三次の風景を模して造園されたといい、「水前寺富士」とよばれる築山を中心に、まぶりのよいマツや随所に配した芝山が、ゆたかな起伏をみせて広がっている。池中には阿蘇山の伏流水の清水が滴れることなく湧き出す。

かもめの休息地・水前寺成趣園

熊本城へ 仙厳園(磯庭園)へ