晩秋の仙厳園
(磯庭園)

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 水前寺公園から松橋で九州自動車道に入る。高速道路を順調に走りながら、「昔、高速道路が八代終点であった時には、球磨川沿いの国道219号で人吉、えびの市までの山道を通り抜けたこと」を思い出していた。午後4時過ぎに仙厳園・尚古集成館に到着する。多少曇り空で肌寒かったので、庭園内を駆け足で見物した。

尚古集成館
尚古集成館
国重要文化財)(国史跡

 尚古集成館(旧集成館機械工場)は、第28代島津斎彬が、江戸時代末期に造った国内初の近代的工場群・集成館跡に立つ。集成館は薩英戦争でほぼ焼失するが、第29代忠義によって慶応元(1865)年に再建。当時の機械工場を利用したのがこの博物館。日本人撮影による現存最古の銀板写真や工場時代の機械、鎧兜、大砲など多彩な島津氏関連資料を展示している。

磯御殿
磯御殿
国名勝

 仙厳園(磯庭園)は、尚古集成館の北隣に島津家の別邸仙巌園がある。江戸初期の万治年間(1658〜61)に、藩主光久が別邸をつくったことにはじまる。邸内に奇岩が多く、中国竜虎山の仙巌に似ていることからつけられた名である。その後吉貴が曲水の庭や孟宗竹林を設け、さらに斉興が海岸を埋め立てて拡張し、現在のような回遊式庭園として完成した。城から磯邸へは鳥越の坂道をこえて往来していたが、享保9年(1724)吉貴が祇園社の脇を海岸沿いに新道を開設した。明治5年(1872)、明治天皇の行幸に際して道幅が広げられた。

正門
正門
望嶽楼
望嶽楼

 国道沿いの正門は、明治30年(1897)ごろ完成したものである。昔の本門はもう少しさき左手の宋塗りの錫門である。屋根は谷山の錫山産の錫で葺いてある。
 桜島をのぞむのにふさわしい位置に、琉球王が献上したという異国的な望嶽楼がある。床にはさまざまな唐草模様が掘られた正方形の瓦がしきつめてあり、秦の始皇帝のたてた「阿房宮」をまねたともいわれるが、中国の社寺によくみられる床瓦である。屋内に掲げられた望嶽楼の文字は、書聖王義之の書からの集字であるという。

「千尋巌」の文字が刻まれた巨大な岩石
「千尋巌」の文字が刻まれた巨大な岩石
仙厳園
仙厳園

 江南竹林の近くにみえる崖の中腹に、千尋巌ときざんだ文字がある。江戸時代末期の斉興のころ完成したという。竹林碑から千尋巌へつうじる道があるが、一般にはなかなかのほれない。道の途中に観水合の跡や、寛政年間(1789〜1801)にたてられた筆塚の碑、文化11年(1814)建立の集仙台の碑などがあり、またルリカケスを飼育するゲージなどがある。登り口には新しい筆塚がある。

曲水の庭
曲水の庭

 園内を奥へ進み小川を渡ると曲水の庭がある。曲水の宴を行った庭園である。曲水の宴とは中国の王義之が353年に文人を集めて行ったのが始まりとされ、おれまがった水の流れに杯を浮かべて詩をつくったり、酒を飲む遊びである。わが国でも平安時代から貴族たちに愛好され、都や太宰府など各地に庭がつくられた。仙厳園の曲水の庭は、元禄15年(1702)ごろつくられたものと推定され、現存する庭のなかでも古いものは中国の慶州にあるだけだが、磯の庭はそれよりもずっと大規模で、きわめて貴重なものだといわれる。平成4年(1992)から、毎年春先に曲水の宴が復活して行われている。

晩秋の仙厳園
(磯庭園)

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