中尊寺(奥州藤原氏)
(本堂・金色堂・芭蕉像・三重塔)

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中尊寺本堂
中尊寺本堂
本堂の松
本堂の松
 中尊寺も毛越寺と同様に市一山寺院で17の子院からなる。それぞれの子院は独立し、本坊を中心に中尊寺というまとまりをもっている。本坊表門は江戸時代初期の創建で 寺伝では伊達騒動で土佐に流された、一関藩主伊達兵部邸の門を移したと伝えられる。本堂ば明治42年(1909)に再建されたものである。
金色堂
金色堂
国宝)(国特別史跡
 金色堂は覆堂という建物の内部にあり、外部から護られている。皆金色の建造物には「天治元(1124)年」銘の棟木があり、藤原清衡が69歳の時に棟上げされたことが知られている。堂内には3つの須弥壇があり、それぞれ阿弥陀如来を中心とした金色堂堂内諸像及天蓋(国宝)が安置されている。各壇11体あったが、西南壇(向かって左)の一体が失われて、32体の仏像が安置されている。
 中央壇には清衡、西南壇に基衡、西北壇に秀衡のものと伝えられる棺が納められている。したがって、金色堂は阿弥陀堂であるとともに、藤原三代の遺体をまつる霊廟であるともいえる。清衡がみずからの霊廟として中央壇を造り、その後、西南壇と西北壇が増設されたものと考えられている。また、源頼朝による奥州合戦で平泉から逃れ、比内郡(現、秋田県大館市)で家臣河田次郎に殺された四代泰衡の首級も秀衡の西北壇に納められている。(世界遺産
経蔵
経蔵
国重要文化財
旧覆堂
旧覆堂
国重要文化財
 かっては茅葺きであったが、昭和25年(1950)に銅板葺きに改められ、現在は讃衡蔵に移された「紺紙金字一切経」が納められていた。中尊寺経蔵には わが国最古の棟札が伝えられる。「保安三(1122)年」銘のもので 肉眼ではみえないが赤外線調査で墨書が解読され、藤原清衡とその妻平氏が施主であることがわかった。
 かつて金色堂を護っていた旧覆堂がある。室町時代の創建と推定され、現在の覆堂が昭和40年(1965)に建てられる前は、この覆堂で金色堂が覆われていた。覆堂という性格上、簡素な建物で 内部には柱がなく梁もない。前面は壁がなく、差し込む外光によって、屋根裏の構造をみることができる。
芭蕉像
芭蕉像
菊三重塔
菊三重塔
 芭蕉像は、三百年あまり前に芭蕉が見た旧覆堂の手前に、右手で杖を握り、柔軟な顔立ちで立つ旅姿の芭蕉像とおくのほそ道句碑がある。芭蕉の義経主従に対する特別なものがあったに違いない。芭蕉は平泉に着くと、その足で高館に急いだ。高館の丘の上で芭蕉が目にしたものは、北上川の流れと束稲山の往時と変わらない景色と、一面の草野原だった。芭蕉は『おくのほそ道』の冒頭で、「すべてのものは激しく変化していく。それが人生の真の姿だ」とも述べている。
2006.11.4 中尊寺(金色堂・経蔵・芭蕉像・義経堂)
2006.11.4 中尊寺(金色堂・経蔵・芭蕉像・義経堂)
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