武士の町鶴岡
(丙申堂・致道館・鶴岡公園)

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旧風間住宅「丙申堂」
旧風間住宅「丙申堂」国重要文化財

 明治29年丙申の年に、風間家七代当主(幸右衛門)が、住居及び営業の拠点として建築したもので、八代当主(幸右衛門)建築年に因み「丙申堂」と名付けた。
 主屋を中心に南側は道路に面した薬医門と前蔵、西側に中蔵と奥蔵、北側に小蔵(金庫蔵)を配する。この建物は、明治27年の酒田地震を教訓にして建てたと伝えられ、広大な板の間に架ける梁をトラス状にし大黒柱で支えるなど工夫の跡が見られる。

薬医門
薬医門
建物石置杉皮葺尾根
建物石置杉皮葺尾根
鶴岡カトリック教会天主堂
鶴岡カトリック教会天主堂国重要文化財

 鶴岡カトリック教会天主堂の敷地は元庄内藩家老末松十蔵の屋敷跡で、聖堂は明治36年(1903)に献堂された。正面中央にベル=タワーを建て尖塔をつくった中世ロマネスク様式の建物である。会堂の内部形式は三廊式で身廊と側廊とからなり、12本の円柱で囲み柱頭はコリント式といわれる葉アザミの模様となっている。尖塔までの高さ23.7m、正面の幅10m、建設立案者はフランスの宣教師ダリベル神父で、設計者はフランスの宣教師パピノ神父である。

表御門
2011.6.26 武士の町鶴岡(おくのほそ道)youtube国史跡

 致道館は、第九代藩主酒井忠徳は財政の窮乏脱却と土風刷新をはかり、藩政を立て直すため藩校による教育の重要性を察し、寛政12年(1800)、重臣白井矢太夫と服部円蔵を学校御用掛に任命した。

庄内藩校致道館 講堂
庄内藩校致道館 講堂
聖廟
聖廟

 講堂は始業式などの時に生徒はここに集まりました。また、藩主が参勤で留守の年には、2日おきに役所として用いられ、藩役人が集まって藩政の打ち合わせや会議が行われていました。
 聖廟は毎年2月と8月に、儒学の祖である孔子を祭る釈奠(せきてん)が行われた所である。釈奠では聖廟に聖像が飾られました。聖像の筆者と年代はともに不詳ですが、聖人の風格が偲ばれる名筆とわれている。

孔子像(複製)
孔子像(複製)
華陽中台先生の碑
華陽中台先生の碑

 この孔子像(複製)は孔子第75代の子孫である孔健氏が、同家に伝わる孔子像をもとに上海交通大学青銅芸術研究所に依頼し制作されたものの、その後、用いられなくなったために魯を去り、14年間にわたって衛、陣、鄭と諸国を放浪。69歳の時に魯に戻り、以降は弟子の教育と著述に専念した、弟子の数は3000人にもなったという。

祭器
祭器
雅楽の楽器
雅楽の楽器

 儒学の祖である孔子を祭る釈奠の時に神饌物を盛る器で、全部で14種、68個ある。これらは、藩校創立と同時に備えられたと伝えられており現存しているのは全国的にも珍しいものである。

鶴岡公園(鶴ヶ岡城址)
鶴岡公園(鶴ヶ岡城址)

 鶴岡駅の南西約2km、現在鶴岡公園として親しまれている所が中世から近世の鶴ヶ岡城址である。中世には大宝寺城・大梵寺城とよばれ、武藤氏(大宝寺氏)により築かれたという。天正18年(1590)庄内地方は越後の上杉領となり、慶長6年(1601)山形の最上領となった。最上義光は当城を隠居城と定め、城下の整備と城の修築が行われ、1603年には鶴ヶ岡城と改名された。旧濠と樹齢数百年の老杉がいにしえの風格を伝える。「日本さくら名所100選」にも選ばれている。

荘内神社
荘内神社
荘内神社宝物殿
荘内神社宝物殿

 荘内神社は鶴ヶ岡城本丸址にあり、初代藩主酒井忠次、二代家次・三代忠勝・九代忠徳が祀られている。

藤沢周平記念館
藤沢周平記念館
本丸御殿玄関跡
本丸御殿玄関跡

 時代小説の名手、藤沢周平の文学世界を深く味わう拠点として2010年春、開館。直筆原稿や創作資料、愛用品などを展示し、様々な切り口から藤沢周平の作品世界と生涯を紹介する。また展示室内には、自宅書斎も再現され、執筆・創作の現場を垣間見ることができる。

大宝館
大宝館

 大宝館は、大正天皇即位を記念して1915年に創建された擬洋風建築である。

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