旧芝離宮恩賜庭園~浜離宮恩賜庭園
(浜松町~新橋)

旧浜松町駅(JR山手線)~ 旧芝離宮恩賜庭園~ 浜離宮恩賜庭園~新橋駅(JR東海道線)
mark旧芝離宮恩賜庭園(きゅうしばりきゅうおんしていていえん)
都立庭園めぐり(旧芝離宮恩賜庭園)
2009.11.21 都立庭園めぐり(旧芝離宮恩賜庭園)
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 小石川後楽園とともに、今に残る最も古い大名庭園のひとつ。典型的な「回遊式泉水庭園」で、池を中心にした地割りと石割は秀逸である。この地はかって海面でしたが明暦(1655~1658)の頃に埋め立てられ、延宝6年(1678)に老中・大久保忠朝の邸地となる。忠朝は上屋敷を建てる際に、藩地の小田原から庭師を呼び寄せて作庭し、これを「楽壽園」と命名した。今でも、当時の上屋敷の茶室の石柱が残っている。
 都立九庭園では「都立庭園紅葉めぐりスタンプラリー」を開催中で、各庭園の紅葉を楽しむ大勢の人達でにぎわっていた。

泉水
泉水
石柱
石柱

 園内には、約9,000㎡の広さをもつ泉水は、昔は海水を引き入れた潮入りの池。枯滝は、山峡を流れ落ちる滝を彷佛とさせる石組み、流れの河底が通路になっていて、景観の変化を楽しむことができる。

枯滝
枯滝
中島
中島

 枯滝は園景の要となる箇所で、池の中央にある中島。中国で仙人が住み不死の地といわれる霊山を模した石組みとなっている。

九尺台
九尺台
西湖の堤
西湖の堤

 九尺台は、海の波打際に造られたこの高台は、いつ造られたものかは不明だが、明治天皇が明治8年にこの庭園に行幸された際、この台上から、海で漁民達が漁をする様子や海の眺望を楽しまれた所である。

大山の眺め
大山の眺め
世界貿易センタービルと東京タワー
世界貿易センタービルと東京タワー

 庭園内の最も高い築山で、大山の眺めが見事である。また、左右の築山と構成される稜線の変化は、池の対岸から見ると味わい深いものがある。
(都立九庭園)
浜離宮恩賜庭園旧芝離宮恩賜庭園小石川後楽園旧岩崎邸庭園六義園向島百花園清澄庭園旧古河庭園殿ケ谷戸庭園の九庭園がある。

mark浜離宮恩賜庭園(はまりきゅうおんしていえん)
2009.11.21 都立庭園めぐり(浜離宮恩賜庭園)
2009.11.21 都立庭園めぐり(浜離宮恩賜庭園)
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 中島の御茶屋は、宝永4年(1707)に造られて以来、将軍をはじめ御台様、公家たちがここで庭園の見飽きぬ眺望を堪能していた休憩所。

三百年の松
三百年の松
お伝い橋と小の字島
お伝い橋と小の字島

 およそ300年前の宝永6年(1709)、六代将軍徳川家宣が、この庭園を大改修した時に植えられたと伝えられ、その偉業を表現するような雄姿は昔時をしのばせるもので、都内では最大級の黒松である。
 お伝い橋は、 潮入の池の岸から小の字島と 中島の御茶屋を結ぶ延長118mもある総檜造りの橋で、平成9年(1997)5月架け替えた。

将軍お上り場
将軍お上り場
水門
水門

 江戸時代、将軍が隅田川から浜御殿に来られたときや舟遊びをして休息のために立ち寄られたときなど、乗降された船着場で、今も原形を保っている。明治元年(1868)1月12日未明、最後の将軍となった十五代将軍徳川慶喜は、大阪から軍艦開陽丸で江戸に入り、この お上り場から上陸して、騎馬で江戸城へ帰還したものである。
 昔から、この堰で海水の出入りを調整している。東京湾の潮の干満を利用して池の水位を上下させ、庭の趣に変化を持たせるように作られた「 潮入の池」にはなくてはならないものである。

可美真手命銅像
可美真手命銅像
浜離宮恩賜庭園
浜離宮恩賜庭園

 中の御門(出入口)から園内に入ると、正面に可美真手命銅像が立っている。可美真手命は饒速日命(にぎはやのみこと)の皇子で、神武天皇の東方遠征に従い、手柄をたてたと言われる軍神の銅像。明治27年(1894)、明治天皇の銀婚式を記念して陸軍省が行った懸賞募集に当選した作品である。

海水取入口
海水取入口
鴨場
鴨場

 「潮入りの池」に海水を取り入れるために、設けられた水路である。水路の石垣や鋼鉄製の水門の遺構が見られる。現在は、海とのつながりを絶たれ、淡水の池になっている。
 鴨場は池と林を3mほどの土手で囲い、土手には常緑樹や竹笹をびっしりと植え、鴨が安心して休息できるように外部と遮断しました。ここでは池に幾筋かの引堀(細い堀)を設け、小のぞきから鴨の様子をうかがいながら、稗・粟などのエサとおとりのアヒルで引掘におびきよせ、機をみて土手の陰から網ですくいとるという猟を行っていました。

浜離宮恩賜庭園(潮入の池)
浜離宮恩賜庭園(国特別名勝)(国特別史跡)

 海水を引き入れた潮入の池と、ふたつの 鴨場を伝え、江戸時代には、江戸城の「出城」としての機能を果たしていた徳川将軍家の庭園。承応3年(1654)、徳川将軍家の鷹狩場に、四代将軍徳川家綱の弟で甲府宰相の松平綱重が、海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てた。その後、綱重の子、綱家(徳川家宣)が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、「浜御殿」と呼ばれるようになった。

2014.3.21 菜の花とヒヨドリ(浜離宮恩賜庭園)
2014.3.21 菜の花とヒヨドリ(浜離宮恩賜庭園)
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 春の花々

菜の花
菜の花

シナレンギョウと旧稲生神社
シナレンギョウと旧稲生神社

桜

花木園の花々
花木園の花々

スイセン
スイセン

⇒ 新橋周辺 ウォーキングマップ