六義園・小石川後楽園
(駒込・飯田橋)

駒込駅(JR山手線)~六義園~駒込駅(JR山手線)
飯田橋駅(JR総武線)~小石川後楽園~飯田橋駅(JR総武線)
mark六義園(りくぎえん)
2011.4.1 東京の枝垂れ桜(六義園・小石川後楽園)
2011.4.1 東京の枝垂れ桜(六義園・小石川後楽園)
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 五代将軍徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主柳沢吉保が元禄15年(1702)に築園した和歌の趣味を基調とする「回遊式築山泉水」の大名庭園である。当園は池をめぐる園路をあるきながら移り変わる景色を楽しむ繊細で温和な日本庭園である。
 江戸時代の大名庭園の中でも代表的なもので、明治時代に入って、三菱の創業者である岩崎彌太郎の別邸となりました。その後、昭和13年(1938)に岩崎家より東京都に寄与され、昭和28年(1953)に国特別名勝に指定された貴重な文化財である。

桜の花
桜の花
枝垂れ桜と花見客
枝垂れ桜と花見客

 枝垂れ桜は、高さ約15m、幅約20mで、「エドヒガン」という品種が変化したものである。戦後に植栽されてから50年以上が経過している。開花は「ソメイヨシノ」よりもやや早く、3月下旬頃。満開の時期、枝いっぱいに見事な花を咲かせた薄紅色の滝のような姿は圧巻である。

白木蓮
白木蓮
アセビ
アセビ

蓬莱島
蓬莱島
心泉亭
心泉亭

 池の中に見える、アーチ型の石の島が蓬莱島である。元禄15年の作庭当時にはなく、明治時代になって、岩崎家によって捉えられたものといわれているが、庭園の風景にとても良くなじんでいる。本来は島に松の木があったが、平成23年3月11日の震災(東日本大震災)で石組が崩れ、松も倒れてしまった。
 心泉亭は、作庭された当初この辺りに泉が造られ、ここから流れ出る水が池の中心部に流れていたので、心の泉と名付けられた。

妹山・背山
妹山・背山
水分石
水分石

 中の島にある、右の少し大きい山が背山、左が妹山である。その間に立つ石(紀州青石)が玉笹石と呼ばれ、男女の仲を隔てる笹に見立てられる。 六義園のモデルと言われる和歌山県紀州の和歌の浦に「妹背山」は今も残る。また紀ノ川流域、吉野にも妹山・背山は実在し、万葉の歌枕として有名である。浄瑠璃「妹背山婦女庭訓」にもその名が使われ、文楽や歌舞伎の演目として馴染み深い。
 滝口の石組で水を左右に分ける石は「水分石」と呼ばれる。「六義園記」には、「水を三つにわけたる石なり。東山殿の図にも、『水分石』という石あり」とあり、足利義政が造営した銀閣寺が触れられている。

吹上茶屋
吹上茶屋
キンクロハジロ
キンクロハジロ

吹上松
吹上松
吹上松
吹上松

 「吹上浜」という地名は全国にあるが、ここは和歌山市の「吹上」にちなんでいる。和歌山の吹上にはかって砂丘と松林があり、「根上り松」という変わった形の松が見られた。六義園が作られたときの絵図面に多くの松が描かれており、松が庭の主要な樹木だったことが分かる。そのほとんどは失われてしまったが、この 吹上松の老木のみは絵図面と同じ位置にあり、大切に管理されている。

六義園
六義園(国特別名勝)

 吹上茶屋は、「熱海ノ茶屋」として岩崎家によって建てられたが、戦災などで焼けたのちに東京都によって再建され、現在は抹茶の店舗として活用されている。

⇒ 六義園周辺 ウォーキングマップ

mark小石川後楽園(こいしかわこうらくえん)
枝垂れ桜と花見客
枝垂れ桜と花見客
枝垂れ桜
枝垂れ桜

枝垂れ桜
枝垂れ桜(国特別名勝)(国特別史跡)

 水戸藩初代藩主徳川頼房が寛永6年(1629)に三代将軍徳川家光からこの地を賜って上屋敷と庭園を造営、次の水戸藩二代藩主徳川光圀(水戸黄門)のときに完成した。もともと小石川の低湿地だった所を利用して心字池をつくり、神田上水の分流を導入し、奇石を配して、山あり谷ありの変化に富む回遊式山泉水庭園に仕上げた。
 この枝垂れ桜は、樹齢推定約60年。3月下旬には見事な花を咲かせる。

2011.4.1 東京の枝垂れ桜(六義園・小石川後楽園)
2011.4.1 東京の枝垂れ桜(六義園・小石川後楽園)
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