浅草寺散歩(浅草寺・五重塔・伝法院)
(浅草)

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mark浅草寺(せんそうじ)
雷門
雷門

 「浅草寺の総門で、寺伝では天慶5年(942)平公雅による創建で、現在地より南の駒形にあったと伝えられる。江戸時代数度の火災と再建があり、寛政7年(1795)再建のものが慶応元年(1865)に焼失したあと長く失われたままである。昭和35年(1960)、95年ぶりにコンクリート寺伝では造の切妻造で再建された。正しくは右の風神像、左の雷神像にちなんで風雷神門というが、江戸時代からすでに雷門と称されてきた。」()

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雷門提灯底の龍の彫刻

仲見世通り
仲見世通り
宝蔵門
宝蔵門

 浅草仲見世は、雷門から宝蔵門に至る約140mの、道路両側の商店街の総称である。道路に切石を敷き、86軒の店が連なり、雷おこし、紅梅焼、はじき豆、玩具、絵草紙、化粧品、小間物を所狭しと並べたてている。
 宝蔵門は、仁王門と浅草寺宝物の収蔵庫を兼ねた建物である。下層の正面左右に新刻の仁王尊像を安置し、その裏手に階段室、下層上部の中2階に展示室と防湿防火用の機械室を設け、上層の収蔵庫に国宝の法華経と重要文化財の元板大蔵経を収めてある。

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宝蔵門提灯底の龍の彫刻

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手水舎の龍
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龍神像(高村光雲作)

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天井の「墨絵の龍」(東韶光画)

観音堂(本堂)
観音堂(本堂)

 「浅草寺ご本尊の観音さまは、とても慈悲深い仏さまであり、人々の苦しみを見てはその苦しみを除き、願いを聞いては希望をかなえて楽しみを与えてくださる。そのご利益・ご霊験は古今無双であり、ご示現より今日まで、1400年にわたり計り知れぬほどの人々を救われご加護をされてきた。日本三大観音の1つである。(浅草観音、大須観音、津観音)」()

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本堂提灯底の龍の彫刻

二天門
二天門(国重要文化財)

 二天門は、江戸時代を通じて浅草寺の観音堂の西側に建てられた東照宮の随身門と伝えられ、随身像が安置されていた。浅草寺の東照宮は元和4年(1618)に建立され、寛永8年(1631)と同19年の再度の火災に、浅草寺の他の諸堂と共に焼失して、江戸城内の紅葉山に移されたが、随身門のみは炎上を免れた。

弁天堂
弁天堂
時の鐘
時の鐘

 弁天山と呼ばれる小丘の上に立つこのお堂は、昭和58年に再建されたもの。ご本尊は白髪のため「老女弁財天」といわれる。関東三弁天(神奈川県江の島・千葉柏市布施と合わせ)の一つとされ、小田原北条氏の信仰が篤かった。
 時の鐘楼の鐘は、元禄5年(1692)五代将軍徳川綱吉改鋳の江戸時代の「時の鐘」として、芭蕉の句『花の雲 鐘は上野か 浅草か』で有名。現在は、毎朝6時に役僧が撞き鳴らし、大晦日には「除夜の鐘」が点打される。

五重塔
五重塔
五重塔
五重塔

 五重塔は、天慶5年(942)、平公雅によって創建されたをはじめとする。その後、数度倒壊に遭うも、その都度再建された。三代将軍徳川家光によって再建された国宝五重塔も、昭和20年3月の戦災によって惜しくも焼失した。

松尾芭蕉の句碑
松尾芭蕉の句碑
阿弥陀如来像
阿弥陀如来像

 この句碑は寛政8年(1797)10月12日、芭蕉の一〇三回忌に建立され、元は浅草寺本堂の北西、銭塚不動の近くにあったが、戦後この地に移健された。
  くわんをんの いらか見やりつ 花の雲
 阿弥陀如来像は江戸時代前期の承応3年(1654)に、江戸の人々の願いで造立された。

二尊仏
二尊仏
影向堂
影向堂

 「濡れ仏」の名で世に知られるこの二尊仏は、観音(右)、勢至(左)二菩薩の金銅坐像で、像の高さは共に2.36m、蓮台を含めれば4.54mにおよぶ。
 影向堂は、もと本堂南東にあったものを、平成6年に浅草寺中興開山円仁(慈覚大師)さまのご生誕千二百年を記念して、現在地に再建された。

金龍権現
金龍権現
九頭龍権現
九頭龍権現

 金龍権現は浅草寺ご本尊観音さまのご示現にあたり、「天より百尺ばかりの金龍が舞い降りて、その功徳を讃え観音さまをお守りした」とされることから、浅草寺の山号は「金龍山」という。
 九頭龍権現の龍神様は、仏教をお守りし、雨を操り、われわれに五穀豊穣や福徳を授れてくださる。

六角堂
六角堂
淡路堂
淡路堂

 木造で単層の六角造り瓦ぶき形式で、建物中央の直径は1.82mあり、一面の柱真々は0.9mである。建物の基礎は、六角形状に廻した土台を布石の基礎で支え、その下部に11段の石積みをした1.5m余りの井戸上の穴が掘られている。
 淡路堂は昭和30年(1955)までは浅草寺の仮本堂である。堂内には本尊阿弥陀如来坐像、向かって左に淡島神の本地仏とされる虚空蔵菩薩像を安置する。

九代目市川團十郎像(復元)
九代目市川團十郎像(復元)
映画弁士塚
映画弁士塚

 「大正8年(1919)、江戸歌舞伎ゆかりの地浅草の 浅草寺境内に、劇聖と謳われた明治の名優九代目市川團十郎の歌舞伎十八番「暫」の銅像が作られた。この銅像は 近代彫塑の先駆者新海竹太郎氏の傑作であり、歌舞伎の象徴として全國の人々から親しまれていた。ところが第二次世界大戦中の昭和19年11月30日金属類回収のため、この「暫」の銅像も供出の命を受け、40余年を経た。」()

曽我廼家五九郎顕彰碑
曽我廼家五九郎顕彰碑
浅草観光纉緒の碑
浅草観光纉緒の碑

 明治~昭和前期、曾我廼家五九郎は「喜劇王」として浅草で活躍していた。

mark伝法院(でんぽういん)
伝法院庭園と五重塔
伝法院庭園と五重塔
(国名勝)

 「伝法院は浅草寺の院号で、住職の居住する本坊の称号に用いられている。諸建物のうち、客殿・玄関・使者の間・大台所の一部は、安永6年(1777)の建造である。
 伝法院庭園は、寛永年間(1624~44)に幕府の作事奉行を勤め茶人として有名である小堀遠州によって築庭されたといわれる。約一万平方メートルものこの庭園は、回遊式庭園として、園内を逍遥すれば一歩一歩その景観を異にする。
」()

天祐庵
天祐庵

 明治4年(1871)再建された、浅草寺本坊伝法院の書院の一つ。上の間・中の間・下の間に分かれる。江戸時代、浅草寺は法親王様のご兼帯寺であり、法親王様ご来寺の際には、大書院の間にてご休憩なされた。
 天祐庵は天明年間(1781~89)に、名古屋の茶人牧野作兵衛によって、表千家宗左邸内の不審庵(安土桃山時代に千利休によって造られた)を模して建てられたものです。

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