天王洲アイル~品川神社~東海寺 (芝浦ふ頭~大崎)

芝浦ふ頭駅(ゆりかもめ)~品川台場~天王洲アイル~品川神社~東海寺~大崎駅(JR山手線)
mark品川台場(しながわだいば)
レインボーブリッジの眺望
レインボーブリッジの眺望

 レインボーブリッジは二重構造の複合交通施設のつり橋で、下層は遊歩道、臨海道路、新交通ゆりかもめの軌道が走り、上層は首都高速11号台場線が通っている。
 東京港の新しいシンボルとして、また開発が進む臨海副都心を結ぶ架け橋として、平成5年8月にオープンした。レインボーブリッジ・遊歩道からは、東京タワーや東京スカイツリー、そして青い海に浮かぶ客船や臨海副都心の景観は素晴らしい。

第六台場
第六台場(国史跡)

 寛永6年(1853)6月アメリカ使節ペリー提督の来航を機に、伊豆韮山の代官江川太郎左衛門英龍の意見をいれて、幕府は江戸湾防備のために湾内の11ケ所に砲台を築くこととした。これが品川台場である。同年8月から取り急ぎ工事をすすめ、芝高輪泉岳寺台地・品川御殿山などを堀り崩して土を運び、四角形・五角形・六角形の砲台を築いた。高さ約10mの石垣を積んで砲台を築き、内部は鍋底状にくぼめて陣屋・火薬庫・炊事場を設置した。安政元年(1854)4月に第一~三砲台、11月に御殿山下砲台が完成したところで工事は中止された。その理由として、同年3月に日米和親条約が調印されたことと、幕府財政の逼迫があげられる。築造されたお台場のほとんどが品川埠頭埋立地に含まれてしまい、現在では第六台場と、13号埋立地と陸繋島となった第三台場が残っているのみである。

高浜運河
高浜運河
沿緑地コース案内
沿緑地コース案内

 高浜運河の護岸は、歩行者と自動車が分離されて、安全で快適なジョギングコースとして親しまれている。

mark天王洲アイル(てんのうずアイル)
天王洲アイル
天王洲アイル

 昭和61年(1986)東品川2丁目の開発計画が策定され、平成4年(1992)にはシーフォートスクエアのオープンに伴い、東京モノレールの天王洲駅ができ、高層オフィスビルが次々と建設された。さらに、平成13年(2001)には東京臨海高速鉄道りんかい線の天王洲アイル駅ができるなど、都心への交通利便性が高い。高層ビルの高層階からは、天気の良い日には富士山の夕景が望める。

T.Y.HARBOR BREWERY RESTAURANT
T.Y.HARBOR BREWERY RESTAURANT
天王洲ふれあい橋
天王洲ふれあい橋

 T.Y.HARBOR BREWERY RESTAURANTは、運河沿いの倉庫を改築したビール醸造所を併設しているレストラン。味わい豊なクラフトビールとアメリカ人シェフによる本格モダンアメリカン料理が楽しめる。高浜運河沿緑地コースの始発点である港南公園から、天王洲ふれあい橋の鉄橋を渡ると天王洲アイルの高層オフィスビルに入る。

シーフォートスクエア
シーフォートスクエア
ボードウォーク
ボードウォーク

旧第四台場の石垣
旧第四台場の石垣
黄富士の夕景
黄富士の夕景

 ボードウォークの護岸は、旧第四台場の石垣が使われている。

mark品川宿(しながわしゅく)
聖蹟公園(本陣跡)
聖蹟公園(本陣跡)
御聖蹟の碑
御聖蹟の碑

 東海道一番目の宿場品川宿は、日本橋から2里、目黒川の河口に位置していた。品川宿は目黒川を境として北本宿と南本宿の2宿からなっていたが、江戸寄りに新町ができ、享保7年(1722)に年間1万2000人の歩行人足を出すことを条件として新しい営業が認められた。こうして品川宿は、北から歩行新宿・北本宿・南本宿の3宿からなることとなった。
 江戸時代の本陣は、宿場で大名や旗本、公家などが休憩や宿泊するところで、品川宿には初め南北本宿に一軒ずつあったが、江戸中期には北本宿のみとなった。大名などが宿泊すると本陣には大名の名を記した関札をたて、紋の入った幕をめぐらした。現在、本陣跡地は公園となり、明治元年(1868)に明治天皇の行幸の際の行在所となたことに因み、聖蹟公園と命名されている。

新聞少年像
新聞少年像
石井鐵太郎像
石井鐵太郎像

 新聞少年像は、昭和24年(1949)に二宮尊徳像が建立されたが、昭和42年(1967)に石井鐵太郎によって、現在の子ども達が親しみやすい像ということで改めて新聞少年の像が贈られた。
 石井鐵太郎は、常に住民の福祉増進と社会福祉の向上に尽し、昭和50年(1975)に社会福祉功労を顕彰し名誉区民となった。

mark品川神社(しながわじんじゃ)
品川宿(北品川商店街)
品川宿(北品川商店街)
双龍鳥居
双龍鳥居

 品川神社の階段下、神社への上り口に石造の双龍鳥居がある。明神鳥居で、二本の柱にそれぞれ昇龍・降龍の巻きついた姿の彫刻を施したもので、彫刻はなかなか見事である。東京三鳥居(高円寺・稲荷社、馬橋稲荷神社)の一つといわれている。

石鳥居 昇龍
石鳥居 昇龍
石鳥居 降龍
石鳥居 降龍

富士塚
富士塚
社殿前の石造鳥居
社殿前の石造鳥居

 富士塚は、富士信仰の集団、富士講の人々が富士山の遙拝場所として、あるいは実際に富士山への登山ができない講員のために造った築山である。品川神社の富士塚は、明治2年(1869)北品川宿の丸嘉講社の講中300人によって造られた。
 社殿前の石造鳥居は東海寺造営奉行であった佐倉藩主堀田加賀守正盛が慶安元年(1648)に寄進したものである。上野東照宮石造明神鳥居に次いで都内2番目の古さをもつという。

社殿
社殿

 由緒は、今からおよそ800年程前の平安時代末期の文治3年(1187)に、源頼朝が安房国の洲崎明神(現、千葉市館山市鎮座 洲崎神社)の天比理乃命を当地にお迎えして海上交通安全と祈願成就を祈られたのを創始とする。やがて、鎌倉時代末期の元応元年(1319)に二階堂道蘊が、宇賀之売命(お稲荷様)を、さらに室町時代中期の文明10年(1478)に、太田道灌が、素盞鳴尊(天王様)をそれぞれお祀りした。
 慶長5年(1600)、徳川家康が関ヶ原の戦いへ出陣の際に、当社へ参拝し戦勝を祈願され、その後、祈願成就の御礼として仮面・神輿などを奉納された。また、寛永14年(1637)三代将軍徳川家光により東海寺が建立され当社がその鎮守と定められ、元禄7年(1694)・嘉永3年(1850)の二度の社殿の焼失の際には、時の将軍の命により再建が行われる等、徳川将軍家の庇護を受けた。

神楽殿
神楽殿
水盤
水盤

 明治に入り、明治元年(1868)11月には明治天皇が、新都・東京の安寧と国家の繁栄を御祈願されるために当社を含んだ都内の十の神社と定められ、御勅使が御参拝になられ御祈願をされた。大東亜戦争の折は、当社は幸いにして戦火を免れたが、社殿の老朽化が進み、昭和39年(1964)氏子各位のご協力により現在の社殿が再建された。

mark東海寺(とうかいじ)
庫裏
庫裏
古学殿(仏殿)
古学殿(仏殿)

 寛永14年(1637)沢庵和尚が三代将軍徳川家光から、寺領500石、境内地4万7000坪を賜って、翌年開いた寺院である。幕府の手厚い保護をうけ、寛永寺・増上寺と並び称された巨刹であったが、明治4年(1871)寺域は官有地となり、諸堂塔は取り壊されたり、火災にあって旧観を失ってしまった。
 山門をくぐると右側に古学殿(仏殿)、その手前に鐘楼、左側に庫裡がある。仏殿は昭和5年(1930) の建築、小規模ではあるが本格的な禅宗建築である。正面入口の上に「世尊殿」と記した木額をかけている。本尊は木造の釈迦三尊である。中尊の釈迦如来坐像は等身大の立派な像で、東海寺の開創にあたり、根来寺(和歌山県、新義真言宗)から移されたものと伝えられている。

梵鐘
梵鐘
官営品川硝子製作所跡
官営品川硝子製作所跡

本鐘は元禄5年(1692)住持天倫宗忽が撰文し、名工といわれた幕府の御用鋳物師である椎名伊予良寛によって造られたものである。総高198cm、口径106cm、撞座は竜頭の側面方向に二か所、乳は乳の間ごとに縦横五箇ずつ配列されている。
 日本における近代ガラス工業発展のもとになったのは、明治6年(1873)に東海寺境内に創建された興業社である。興業社は、明治9年(1876)に工部省に買収されて官営品川硝子製作所となり、全国のガラス工業の発展に貢献した。明治18年(1885)には西村勝三らに払い下げられて民間経営となったが、経営不振のため、明治25年(1892)に解散した。

東海寺大山墓地 沢庵和尚墓
東海寺大山墓地 沢庵和尚墓(国史跡)
賀茂真淵墓
賀茂真淵墓(国史跡)

 沢庵は、江戸時代初期に活躍した禅僧で、名は宗彭、沢庵は道号。但馬国出石(現、兵庫県豊岡市)に生まれ、幼少のころ出家して禅を学び、各地を修行して信望を集め、慶長14年(1609)大徳寺の一五三世住持となった。寛永6年(1629)紫衣事件で流罪となり、出羽国上国(現、山形県上山市)藩主土岐頼行に御預けとなる。沢庵は禅僧として大成しただけでなく、兵法、儒学に通じ、書画、詩歌にもすぐれ、茶道に造詣が深かった。
 賀茂真淵は、元禄10年(1697)遠江国敷智郡浜松庄伊庭村(現、浜松市)に岡部政信の三男として生まれた。江戸中期の国学者である。

西村勝三墓
西村勝三墓
井上勝墓
井上勝墓

 「鉄道の父」と称され井上勝は、萩藩士の三男として生まれた。15歳から長崎、江戸で学び、文久3年(1863)井上馨、伊藤博文らとともにイギリスに密航し、鉄道と鉱山技術を学ぶ。日本の鉄道建設に最初から関わり、明治4年(1871)には初代鉄道頭となり、明治5年(1872)、新橋・横浜間の鉄道を完成された。

⇒ お台場周辺 ウォーキングマップ
⇒ 品川周辺 ウォーキングマップ